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鎌倉・室町時代の常陸国では、佐竹氏、小田氏、結城氏といった在地領主が勢力を争い、中央の権力との関係でその力は揺れ動いた。特定の氏族による統一支配が確立されにくかった背景を探る。
常陸国は律令制下で「大国」かつ「親王任国」という特別な地位を与えられた。豊かな自然と東方支配の要衝としての役割がその背景にある。平将門の乱や常陸平氏の台頭、そして鎌倉幕府による守護の設置など、古代から武士の時代への変遷を辿る。
鎌倉時代から室町時代にかけて、駿河国は東海道の要衝として政治的変動に晒された。北条氏の支配を経て、室町時代には今川氏が守護として台頭。今川氏は検地や分国法制定、文化振興により領国を安定させ、独自の発展を遂げた。
鎌倉・室町時代の伊予国では、在地領主の河野氏が幕府との関係で揺れ動きながらも支配を維持した。一方、瀬戸内海では忽那水軍が独自の勢力を保ち、陸と海の力学が複雑に絡み合った。
鎌倉時代、讃岐国は北条氏による統治下に置かれ、室町時代には細川氏が四国を支配する拠点となった。瀬戸内海の海上交通の要衝として、中央との関わりの中で在地勢力が発展した歴史を辿る。
鎌倉・室町期の阿波国は、守護の変遷と共にその性格を変えていった。小笠原氏が岩倉城を拠点とした時代から、細川氏が勝瑞に守護所を移し、畿内との交流を深め繁栄した様子を辿る。
鎌倉時代から室町時代にかけての岡山地域は、守護と国人、そして多様な外部勢力の思惑が絡み合い、複雑な権力構造が形成されました。本記事では、その地理的・政治的背景を探ります。
鎌倉・室町時代の安芸・備後両国では、守護権力が弱く、在地領主である国人たちが力を蓄えた。瀬戸内海の要衝という地理的条件や、畿内と西国の狭間という立地が、多層的な権力構造を生み出した。
鎌倉・室町時代の周防国(現在の山口県周南市周辺)にいた土岐氏について、美濃土岐氏との違いや、富田保の地頭としての役割、大内氏との関係などを史料からたどる。
13世紀後半、元軍は二度にわたり日本へ侵攻した。福岡市の元寇防塁跡を起点に、当時の鎌倉武士が騎馬と長弓戦術、そして恩賞への渇望を武器に、集団戦法や火薬兵器を用いる元軍とどのように戦ったのか、その実態を史料から探る。