2026/5/20
酒どころ東広島で生まれた「こい地鶏」の秘密

広島の東広島こい地鶏という地鶏について知りたい。
キュリオす
広島県東広島市で、広島大学との共同研究により開発された「東広島こい地鶏」。130日以上の長期飼育と酒粕などを配合した特別な飼料で、旨味と口溶けの良い脂を両立させた肉質が特徴。G7サミットでも提供され、地域の食文化を牽引する存在となっている。
広島県東広島市は、古くから「酒どころ」として知られ、酒蔵が連なる西条の町並みは、その歴史を今に伝える。しかし、この地が育むのは酒だけではない。近年、東広島の名を冠した新たなブランド産品として、「東広島こい地鶏」が誕生したのだ。なぜ、この酒どころの地に、あえて地鶏が開発されたのか。そして、その肉質にはどのような特徴があるのだろうか。東広島の食文化に新たな風を吹き込むこの地鶏の背景を探ると、単なる特産品開発に留まらない、地域と大学の共同研究の軌跡が見えてくる。
広島県内には長らく、全国に名を馳せるような地域特有の地鶏が存在しなかった。比内地鶏や薩摩地鶏といった銘柄が各地域で親しまれる中、広島の地にも独自のブランドを確立したいという機運が高まっていったのである。その動きの核となったのが、広島大学だった。およそ2014年頃、広島大学東広島キャンパスに設置された日本鶏資源開発プロジェクト研究センターでは、都築政起名誉教授を中心に、「最上の肉質」をコンセプトとする新たなニワトリ「広大鶏」の開発に着手した。これは日本で初めて大学がライセンスを保有する鶏であり、学術的な知見に基づいた品種改良の試みであったと言える。
この「広大鶏」を基盤とし、東広島市に新たなブランド産品を創出し、地域活性化に繋げたいという思いから、2018年4月、「東広島ブランド地鶏開発振興協議会」が発足した。東広島市農林水産課が事務局となり、広島大学との共同研究が本格的に始動したのである。 目指したのは、単に美味しい鶏肉を生み出すだけでなく、地域の農業者の所得向上と雇用創出にも寄与することだった。 開発期間は3年間。この間、市内の複数の生産者の協力のもと、約2,200羽に及ぶ試験飼育が実施された。 試験飼育で得られた増体性や肉質に関するデータが蓄積され、食味官能試験や外部モニタリング評価も繰り返し行われたという。
そして2021年3月、3年間の共同研究が結実し、「東広島こい地鶏」が誕生した。 その名称には、「こい」という言葉に四つの意味が込められている。一つは、とにかく旨味が「濃い」こと。二つ目は、何度も食べたくなる「恋」しくなる味であること。三つ目は、この地鶏を食べるために東広島に「来い」というメッセージ。そして四つ目は、広島東洋カープのシンボルである「鯉」だ。赤い羽毛を持つ赤鶏であることから、カープのように広島を代表する存在として愛されるようにという願いが込められているという。 東広島市にとって、その名を冠するブランド産品はこれが初めてのことであった。
「東広島こい地鶏」の肉質を形作る根幹には、その独特の血統と飼育方法がある。この地鶏は、広島大学が開発した「広大鶏」のオスと、卵肉兼用品種として知られる「ロードアイランドレッド」のメスを交配させたF1種である。 「広大鶏」が「最上の肉質」というコンセプトのもとで追求された肉質特性をもたらし、「ロードアイランドレッド」が高い生産性を補完することで、品質と供給のバランスが図られているのだ。
JAS(日本農林規格)が定める地鶏の基準は、血統と飼育方法の両面で厳格である。東広島こい地鶏は、このJAS地鶏の規格に準拠して生産されている広島県内で唯一のブランド地鶏だ。 具体的には、在来種の血液百分率が50%以上であること、そして平飼いなどの飼育方法が守られていることを意味する。
飼育環境においては、鶏舎内で自由に動き回れる「平飼い」が採用されている。衛生的でストレスの少ない環境で、鶏たちは無理なく、ゆっくりと成長する。 一般的なブロイラーが40〜50日程度で出荷されるのに対し、東広島こい地鶏は130日以上という、およそ3倍の期間をかけてじっくりと育てられる。 この長期飼育が、肉本来の旨味を凝縮させ、深い味わいを生み出す要因となる。
さらに、与えられる飼料にも工夫が凝らされている。トウモロコシを主原料としながら、国産魚粉、アルファ化米、ビール粕、そして酒どころ東広島ならではの酒粕などが配合されているのだ。 これらの特別な飼料は、肉や脂の旨味を高めるだけでなく、鶏の腸内環境を改善し、肉の臭みを抑える効果も期待されている。 こうして育まれた肉は、和牛にも多く含まれるオレイン酸やリノール酸といった融点の低い不飽和脂肪酸を豊富に含み、口溶けの良い良質な脂肪が特徴となる。 また、地鶏肉の旨味成分として近年注目されるアラキドン酸も含まれており、これが深い旨味に繋がるとされている。 一般的な地鶏にありがちな強い歯ごたえとは異なり、程よい噛み応えとしなやかな肉質を両立させている点も、東広島こい地鶏の大きな特徴と言えるだろう。 出荷時の食鳥処理についても、一羽ずつ手作業で丁寧に行われ、屠体の鮮度保持が徹底されている。
日本の食肉用鶏は、ブロイラーに代表されるように効率的な生産を追求した品種が主流である。しかし、地域に根ざした「地鶏」は、在来種の血を引くこと、そして平飼いなど特定の飼育方法に則ることがJAS規格で定められており、その点で一般的なブロイラーとは一線を画す。東広島こい地鶏の場合、約40〜50日で出荷されるブロイラーに対し、130日以上という長い飼育期間を設けることで、肉本来の旨味を凝縮させている。 この飼育期間の長さは、肉質に深く関わる要素であり、飼料の工夫と相まって、他の鶏肉にはない深みと風味を生み出す源泉となっているのだ。
全国には、秋田の比内地鶏や鹿児島の薩摩地鶏など、それぞれが独自の歴史と飼育方法を持つ地鶏が存在する。これらの地鶏は、しばしばそのしっかりとした歯ごたえが特徴として語られることが多い。一方で、東広島こい地鶏は、強い旨味を持ちながらも、過度な硬さではなく「程よい歯ごたえ」と「口溶けの良い脂」のバランスを追求している点が特徴だ。 これは、単に昔ながらの地鶏の味を再現するのではなく、現代の食の嗜好や多様な調理法に対応できるよう、意図的に肉質を設計した結果と見ることができる。
そして、東広島こい地鶏の最も際立った独自性は、その母体である「広大鶏」が「日本で初めて大学がライセンスを保有する鶏」である点にある。 多くの地鶏が地域の畜産農家や地方自治体の取り組みから生まれる中、広島大学という学術機関が「最上の肉質」を科学的に追求し、品種開発の段階から深く関与していることは特筆すべきだろう。この「大学発」という背景は、単なるブランド化に留まらない、品種そのものの品質に対する信頼性と、継続的な研究による品質向上の可能性を示唆している。学術的な裏付けがあることで、その品質が偶然の産物ではなく、綿密な計画と検証のもとに生み出されたものであることを物語っているのだ。
2021年3月に誕生した「東広島こい地鶏」は、広島県内初のブランド地鶏として、その存在感を着実に高めている。 当初は東広島市内の飲食店を中心に販路を拡大していったが、現在では広島市内はもちろん、遠く東京の飲食店でもその姿を見かけるようになった。 生産体制も、年間8,000羽を目指す目標のもと、現在では年間7,000羽以上が生産されているという。 広島大学発のベンチャー企業であるGallus JAPAN株式会社が、広大鶏の育種やひなの出荷を担い、生産者と共に品質向上に努めている。
この地鶏が全国的な注目を集めるきっかけとなったのは、2023年5月に開催されたG7広島サミットだ。ワーキングランチのメインディッシュとして「東広島こい地鶏」が採用され、各国の首脳たちにもその確かな肉質が振る舞われたのである。 このことは、東広島こい地鶏が単なる地域の特産品という枠を超え、世界に通用する品質を持つことの証左となった。
G7サミットでの採用は、その後の展開にも弾みをつけた。東広島市内では、この地鶏を使った料理を提供する飲食店が増え、すき焼き、美酒鍋、会席料理、塩焼き、親子丼、焼き鳥、ラーメンなど、幅広いジャンルでその味わいを楽しむことができる。 また、生ハムや炭火焼きといった加工品も開発され、その魅力は多様な形で提供されている。 特に注目されるのは、世界的ラーメンブランド「一風堂」を展開する株式会社力の源ホールディングスと、世界有数の庭石登録博物館「仙石庭園」が共同開発した「東広島こい地鶏中華そば」だ。 スープからトッピングまで東広島こい地鶏を100%使用したこのラーメンは、その旨味を存分に堪能できる逸品として、2025年の「酒まつり」でお披露目された後、仙石庭園内のレストランで常時提供される予定だという。 このように、様々な形での展開は、東広島こい地鶏が地域に深く根差し、新たな食文化を創造しようとする現代の姿を示している。
東広島こい地鶏の誕生は、単に新たな食材が加わったという以上の意味を持つ。広島県内に独自の地鶏ブランドが存在しなかったという状況から、広島大学の学術的な知見と東広島市の地域振興への熱意が結びつき、計画的に開発が進められた経緯は、現代における地域ブランド創出の一つのモデルケースと捉えることができるだろう。
この地鶏が目指したのは、単なる「硬い肉」としての地鶏ではなく、旨味の「濃さ」と「口溶けの良い脂」、そして「程よい噛み応え」という、バランスの取れた肉質であった。 これは、地鶏に対する一般的なイメージを再定義し、より多くの消費者にとって魅力的な食体験を提供しようとする、明確な意図の表れだ。特定のテロワールに根差した伝統的な品種改良とは異なる、現代的なアプローチと言える。
「濃い」「恋」「来い」「鯉」という四つの「こい」に込められた意味は、単なる語呂合わせに留まらない。それは、味覚の追求だけでなく、東広島という地域への誘い、そして広島の象徴としての愛着を育むという、多角的なブランディング戦略を示している。 大学の研究室で生まれた「最上の肉質」というコンセプトが、G7サミットの食卓に上り、さらには地元のラーメン店で新たな味覚として提供されるまでの道のりは、学術と地域、そして食文化が相互に作用しながら進化していく現代の姿を映し出している。東広島こい地鶏は、この地の「おいしさ」を再構築し、未来へと繋ぐための、具体的な試みの一つである。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。