2026/5/30
用宗の歴史:しらす漁と港町の変遷を辿る

用宗の歴史について知りたい。どういう場所なのか?
キュリオす
静岡市駿河区の港町、用宗の歴史を辿る。鎌倉時代から続く地名、江戸時代の漁村としての発展、鉄道開通による変化、そしてしらす漁を中心とした近海漁業の確立とブランド化、近年の観光開発まで、その変遷を地理的条件や他の港町との比較を通して明らかにする。
用宗という地名には、どこか古めかしくも、しかし軽やかな響きがある。静岡市駿河区の南端、安倍川の河口近くに位置するこの港町は、東海道の宿場町として栄えた静岡市街地からほど近い。しかし、その距離が示す以上に、用宗は独自の時間を刻んできた場所だ。駿河湾に面し、背後には山が迫る地形は、海と陸の接点として、古くから人々の営みを育んできた。この地が一体どのような歴史をたどり、現在の姿に至ったのか。その問いは、港に立つと吹く潮風のように、静かに心を通り過ぎる。
用宗の歴史を辿ると、まずその地理的条件が目につく。駿河湾に面し、背後には日本平がそびえる地形は、古くから漁業に適しただけでなく、海上交通の要衝ともなり得た。記録によれば、用宗の地名は鎌倉時代には既に存在していたとされ、「用宗郷」という記述が見られる。これは、この地が単なる漁村ではなく、ある程度の集落としてのまとまりを持っていたことを示唆する。中世には、安倍川の河口近くという立地から、河川舟運と海上交通の結節点としての役割も担っていた可能性も指摘されている。
江戸時代に入ると、用宗は漁業を主軸とした村として発展する。特に、駿河湾の豊かな漁場を背景に、多様な魚種が水揚げされた。当時の主要な漁獲物の一つに、現在の用宗を代表する「しらす」があったかは定かではないが、近海漁業が盛んであったことは想像に難くない。また、東海道の主要な宿場町である府中宿(現在の静岡市街地)に近いことから、そこで消費される海産物の供給地としての役割も担っていたと考えられる。しかし、東海道筋の宿場町のように華やかな発展を遂げたわけではなく、あくまでも周辺地域を支える漁村としての性格が強かった。
明治時代に入り、日本が近代化の道を歩む中で、用宗の港もその姿を変えていく。明治22年(1889年)には、東海道本線の開通に伴い、用宗駅が開設される。これは、それまで陸路での交通が不便であった用宗にとって、大きな転換点となった。鉄道による物資輸送が可能になったことで、用宗で水揚げされた海産物をより広範囲に流通させることが可能になり、産業の発展を後押しした。特に、冷蔵技術が未発達であった時代において、鮮魚の迅速な輸送は重要であった。
大正時代から昭和初期にかけては、漁業の近代化が進むとともに、用宗漁港の整備も進められた。駿河湾の豊かな漁場を背景に、遠洋漁業も一部で行われるようになったが、基本的には近海漁業が中心であった。この時期には、用宗特有の漁法や加工技術も確立されていったと考えられている。例えば、しらす漁は明治末期から大正期にかけて本格的に始まったと言われており、その後の用宗のアイデンティティを形成する上で重要な産業へと成長していくことになる。このように、用宗は時代ごとにその役割を変化させながらも、常に海と共に歩んできた歴史を持っているのだ。
用宗が現在の港町としての姿を形作った背景には、地理的条件、独自の漁業、そして近代化の波という三つの要素が複雑に絡み合っている。
まず、地理的条件は、用宗の成り立ちに不可欠な要素である。用宗は、駿河湾の奥まった場所に位置し、天然の良港とは言えないものの、波穏やかな入り江を持つ。さらに、安倍川の河口に近く、古くから川の恵みと海の恵みが交差する地点であった。安倍川は、上流から肥沃な土砂を運び、河口付近に豊かな漁場を形成したと考えられている。また、背後に迫る日本平などの山々は、冬の北風を遮り、比較的温暖な気候をもたらす。こうした条件が、漁業を生業とする人々が定住し、集落を形成する基盤となったのだ。
次に、用宗の独自性を決定づけたのがしらす漁の発展である。しらす漁は、明治時代後期から大正時代にかけて本格的に導入され、用宗の主要産業として確立されていった。駿河湾は、親潮と黒潮が交錯する豊かな漁場であり、特にしらすの回遊に適した環境が整っている。用宗の漁師たちは、伝統的な網漁の技術と、近代的な漁船や漁具を組み合わせることで、効率的なしらす漁を発展させていった。さらに、水揚げされたしらすを鮮度良く加工する技術、例えば釜揚げや天日干しといった加工方法もこの地で磨かれ、用宗しらすのブランドを確立する上で重要な役割を果たした。しらすは足が速く、鮮度保持が難しい魚種であるため、港から加工場、そして市場への迅速な連携が不可欠であり、これが用宗という小さな港町に、漁業と加工業が密接に結びついた産業構造を生み出したのである。
そして、近代化の波が用宗の発展を加速させた。明治22年(1889年)の東海道本線用宗駅の開設は、用宗の経済圏を大きく広げることになった。それまで、用宗で水揚げされた鮮魚は、主に静岡市街地や周辺地域で消費されていたが、鉄道によって東京や大阪といった大消費地へも迅速に輸送できるようになった。これにより、用宗の漁業は地域経済の枠を超え、より広範な市場と結びつくこととなる。また、港の整備も進められ、近代的な漁港としての機能が強化された。これらの要素が複合的に作用し、用宗は単なる漁村から、静岡県を代表するしらすの産地として、その地位を確立していったのである。
用宗の歴史と特徴を考える際、他の地域の港町と比較することで、その独自性がより鮮明になる。例えば、同じ駿河湾に面する沼津港や焼津港といった大規模な漁港と用宗を並べてみると、その規模や産業構造の違いが浮き彫りになるだろう。沼津港や焼津港は、遠洋漁業の拠点として発展し、マグロをはじめとする大型魚の水揚げが中心である。広大な水揚げ場や大規模な加工施設、水産加工団地が広がり、日本全国、あるいは世界へと魚介類を供給する役割を担ってきた。
これに対し、用宗はしらす漁を中心とした近海漁業に特化してきた点が大きな違いである。用宗漁港の規模は、沼津や焼津に比べればはるかに小さい。しかし、その小さな港に水揚げされるしらすの鮮度と品質は高く評価されている。これは、漁場が港から近く、漁獲から水揚げ、そして加工までの一連の工程が極めて迅速に行われるためだ。遠洋漁業が資本力や大型船を必要とするのに対し、用宗のしらす漁は、比較的小規模な漁船と、熟練した漁師の技術、そして地域に根差した加工業者の連携によって支えられている。この「地の利」を最大限に活かした産業構造は、大規模港には見られない用宗ならではの特色と言える。
また、歴史的な発展の経緯も異なる。沼津や焼津が、明治以降の近代化の中で、鉄道網や港湾整備によって遠洋漁業の拠点として急速に発展したのに対し、用宗は、東海道本線の開通がもたらした恩恵を、地域の伝統的な漁業と結びつけることで、独自の発展を遂げた。鉄道は、新鮮なしらすを大消費地へ運ぶ手段となり、用宗のしらすが全国に知られるきっかけとなった。しかし、その根幹にあるのは、あくまで駿河湾の恵みを直接受け取る近海漁業であり、この点において、他地域の港町とは一線を画している。
さらに、観光の側面から見ても、用宗は独自の道を歩んでいる。大規模な魚市場観光や海鮮料理店が軒を連ねる他の港町に対し、用宗は近年まで、比較的静かな漁村の雰囲気を保ってきた。しかし近年、しらすを核とした地域ブランド化や、古民家を改装した店舗の誘致など、独自の魅力づくりを進めている。これは、単なる観光地化ではなく、地元の産業と生活文化を尊重しながら、新たな価値を創造しようとする試みであり、ここにも用宗の慎重かつ着実な発展の姿勢がうかがえる。
現在の用宗は、しらす漁を核とする港町としての顔を持ちながらも、新たな魅力を創造しようとする動きが活発になっている。用宗漁港には、今も早朝からしらす漁船が出港し、その日の漁を終えた船が次々と水揚げを行う光景が見られる。港に隣接する直売所では、朝獲れの生しらすや釜揚げしらすが販売され、多くの観光客や地元住民で賑わう。これは、用宗のしらすが、単なる食材としてだけでなく、地域を象徴するブランドとして確立されている証左だろう。
近年、用宗では、古くからの漁村の風景を残しつつ、新たな息吹を吹き込む取り組みが進められている。例えば、かつて漁師町として栄えた名残である古民家を改装したカフェやショップが点在し、独特の雰囲気を醸し出している。これらは、単に観光客を呼び込むだけでなく、地域住民にとっても新たな交流の場となっている。また、用宗温泉の掘削成功は、この地域に新たな観光資源をもたらした。港町に湧く温泉という組み合わせは珍しく、温泉施設や宿泊施設が整備されることで、用宗は日帰り観光だけでなく、滞在型の観光地としても可能性を広げている。
しかし、高齢化や後継者不足といった課題は、用宗の漁業も例外ではない。若い世代が漁業に魅力を感じ、後を継ぐための環境整備や支援が求められている。また、観光客の増加に伴う地域住民との共存、環境保全といった課題も顕在化している。用宗が今後も持続可能な発展を遂げるためには、これらの課題に対し、地域全体で知恵を出し合い、具体的な対策を講じていく必要があるだろう。港町としての歴史と伝統を尊重しつつ、新しい価値を取り入れ、現代のニーズに応えていく。それが、今の用宗に求められている姿である。
用宗の歴史を辿り、その現在の姿を見つめることで、この町が海と陸の境界でどのように生きてきたかが浮かび上がる。かつては漁業の営みが中心であった小さな集落が、鉄道の開通やしらす漁の発展、そして近年の観光開発によって、その表情を少しずつ変えてきた。しかし、その根底には常に、駿河湾の豊かな恵みと、それを生かそうとする人々の知恵と努力があった。
用宗の例は、特定の産業が地域のアイデンティティを形成し、それが時代とともに変容していく過程を具体的に示している。しらす漁というニッチな分野に特化し、その品質を高めることでブランドを確立したこと。そして、そのブランドを核として、温泉や古民家再生といった新たな要素を取り入れ、地域の魅力を多角的に発信しようとしていること。これらは、地域が持つ固有の資源をどのように活用し、未来へと繋げていくかという問いに対する、一つの答えとも言える。用宗の港に立つと、潮の香りの向こうに、そうした過去と現在が交錯する風景が見える。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。