2026/5/23
高松で鍋焼きうどんが愛される理由とは?老舗からセルフ店まで

高松は鍋焼きうどんがなぜ有名なのか?
キュリオす
香川県高松市で鍋焼きうどんが有名になった背景を探る。戦後の食文化、讃岐うどんの麺が煮込みに適している点、具材と出汁の組み合わせ、そして提供方法がその理由として挙げられる。老舗とセルフ店がそれぞれ独自のスタイルで提供し、地域に根差したソウルフードとなっている。
香川県高松市を訪れると、多くの人が「讃岐うどん」という言葉から、冷たいぶっかけやざる、あるいはシンプルなかけうどんを連想するだろう。しかし、この地には、もうひとつの「顔」がある。熱々のアルミ鍋で供される「鍋焼きうどん」だ。冬の寒さが増す季節はもちろんのこと、一年を通して鍋焼きうどんを求める客足が途絶えない店も存在する。なぜ、これほどまでに鍋焼きうどんが、このうどん王国高松で独自の地位を築いてきたのか。その背景には、讃岐うどんの多様な受容の歴史と、この土地ならではの食文化の層が見えてくる。
高松における鍋焼きうどんの歴史を語る上で、二つの老舗の存在は欠かせない。それが「ことり」と「アサヒ」である。これらの店は、戦後間もない時期から営業を始め、地元の食文化に深く根付いてきた。特に愛媛県松山市には、戦後すぐに営業を開始した鍋焼きうどんの専門店が2軒あり、これらも地元住民に長く親しまれていることが知られている。松山市の鍋焼きうどんは、アルミ鍋を使用し、柔らかめの麺と甘めの出汁、そして甘く煮付けた牛肉を具材とするのが特徴だ。高松の事情もこれに類似する。
鍋焼きうどん自体は、江戸時代後期には大阪の屋台で流行し、その後、明治時代には東京にも伝わったとされる。しかし、高松の鍋焼きうどんが特筆されるのは、その提供形態と地域への定着の仕方にある。讃岐うどんが全国的なブームとなる以前から、これら老舗は地元の胃袋を満たし続けてきた。特に「ことり」は昭和24年創業とされ、その歴史の長さが伺える。彼らは、戦後の物資が乏しい時代にあって、手軽に温かく栄養が取れる食事として、鍋焼きうどんを提供し始めたのではないだろうか。
高松の鍋焼きうどんが有名になった要因は複数考えられる。まず、讃岐うどんの麺自体が、煮込み料理に適していたという点がある。讃岐うどんは、小麦粉に加える水の量や塩分量、そして熟成時間に厳格な基準があり、その「コシ」が特徴とされる。このしっかりとしたコシのある麺は、煮込まれても形が崩れにくく、出汁を吸い込みながらもっちりとした食感を保つ。多くの店舗で、鍋焼きうどんの麺は熱々の出汁の中で煮込まれるが、元々の麺が持つ強さが、煮込みによって「ぽにょっと感」とも表現される独特の食感を生み出しているという見方もある。
次に、具材と出汁の組み合わせが挙げられる。高松の鍋焼きうどんは、エビの天ぷら、牛肉、卵、かまぼこ、椎茸、餅、ネギ、ほうれん草など、多種多様な具材が用いられることが多い。これらの具材から染み出す旨みが、いりこ出汁をベースとした甘めのつゆと合わさり、深みのある味わいを作り出す。特に、甘く煮付けられた牛肉や、出汁を吸ったお揚げ、半熟の卵などが、それぞれの店で個性を発揮している。松山市の鍋焼きうどんも甘めの出汁が特徴であり、この甘さは、砂糖が貴重だった戦後すぐに誕生した当時の味を守り続けている結果だとも言われている。
さらに、提供方法も重要な要素である。一人用の土鍋やアルミ鍋でぐつぐつと煮立った状態で供される鍋焼きうどんは、視覚的にも食欲をそそる。固形燃料で温め続ける店もあり、最後まで熱々で食べられる工夫もされている。これは、単に食事を提供するだけでなく、「温かいものを食べる」という体験そのものを価値として提供していると言えるだろう。
鍋焼きうどんは日本全国に存在するが、その地域ごとの特色は異なる。例えば、名古屋の味噌煮込みうどんは、真水でこねたうどんを生のまま鍋で煮込む点が特徴的だ。これに対し、高松の鍋焼きうどんは、一度茹でたうどんを湯通ししてから鍋に入れる、あるいは鍋の中で一緒に煮込むものの、名古屋のそれとは異なる麺の食感や出汁の風味を持つ。また、愛媛県松山市の鍋焼きうどんは、高松と同様にアルミ鍋、柔らかい麺、甘めの出汁が共通項として挙げられ、通年で提供する店が多い点も共通している。
大阪の鍋焼きうどんは、江戸末期には屋台で人気を博していたことが落語の演目にも登場するほどで、その歴史は古い。しかし、大阪のうどん文化が多様な「種もの」(具材入りのうどん)を発展させたのに対し、高松の鍋焼きうどんは、讃岐うどんという特定の麺文化の中で、独自の地位を築いてきた点が特徴的だ。讃岐うどんの「コシ」というイメージが強い中で、あえて煮込むことで生まれる「もちっと感」を追求する姿勢は、他の地域の煮込みうどんとは一線を画す。
一般的な鍋焼きうどんが「冬限定」メニューとして提供されることが多いのに対し、高松や松山では「通年」で提供する店が多いことも、この地域の鍋焼きうどん文化の根深さを示している。これは、単なる季節料理としてではなく、日常的に食される「ソウルフード」としての位置づけがあるためと考えられる。
高松の鍋焼きうどんは、前述の「ことり」や「アサヒ」といった老舗がその伝統的な味を守り続けている。これらの店は、昔ながらの雰囲気の中で、親子代々にわたる常連客に愛され続けている。メニューを鍋焼きうどんと稲荷寿司に絞り、シンプルながらも質の高い一杯を提供することで、その専門性を確立してきた。
一方で、現代の高松では、セルフ式のうどん店でも鍋焼きうどんを提供する店が増えている。セルフ店でありながら、注文を受けてから調理し、アルミ鍋で供される鍋焼きうどんは、手軽な価格で本格的な味わいを楽しめるとして人気を集めている。具材も多様で、肉や卵、椎茸、かまぼこなどが入り、老舗の味とは異なる、現代的なアレンジが加えられたものも存在する。高松空港近くのうどん店「かわたうどん」のように、創業80年の歴史を持ちながら具沢山の鍋焼きうどんを提供し、著名人も訪れる人気店もある。これらの店は、観光客にとってもアクセスしやすく、高松の鍋焼きうどん文化を広める一翼を担っていると言えるだろう。
高松の鍋焼きうどんが持つ意味合いは、単なる温かいうどんという範疇を超えている。讃岐うどんが「コシ」という言葉で語られ、冷たいうどんがその真髄とされる風潮がある中で、鍋焼きうどんは、熱々の中で麺が持つ別の表情を引き出す。それは、出汁を吸い込み、とろりとした卵や甘辛い具材と絡み合うことで生まれる、滋味深い味わいだ。
この地において鍋焼きうどんが定着した背景には、戦後の食糧事情や、手軽に得られる温かい食事への需要があった。そして、その需要に応える形で、老舗の店が独自の味を守り、さらに現代ではセルフ店がその裾野を広げている。松山と同様に、高松の鍋焼きうどんは、単なる季節限定の料理ではなく、一年を通して愛される「ソウルフード」としての存在感を確立している。それは、厳寒の冬だけでなく、夏の冷房が効いた室内でも、あるいは飲んだ後の締めの一杯としても求められる汎用性を示している。冷たいうどんの「コシ」とは異なる、熱々の中で完成する「もちっとした」食感と、具材の旨味が溶け込んだ甘めの出汁が、この土地の人々に長く支持される理由なのだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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