2026/5/23
徳島で「すだち」が作られる理由:江戸時代から続く歴史と栽培の秘密

徳島のすだち作りについて詳しく知りたい。いつからなぜ作っているのか?どういう点が適しているのか?
キュリオす
徳島県で「すだち」が作られるようになったのは江戸時代中期に遡る。本格的な経済栽培は昭和30年代以降で、1981年の冷害を機に温州みかんから転換が進んだ。温暖な気候と水はけの良い傾斜地という地理的条件、そして生産者の技術蓄積が、すだちの主要産地としての地位を確立した。
すだちの歴史は古く、その存在は江戸時代中期にまで遡ることができる。宝永6年(1706年)に貝原篤信が著した「大和本草」には、「リマン」という名で記述が見られ、これがすだちに関する最古の記録のひとつとされている。当時のすだちは、現代のように広く流通する商品ではなく、「酢橘(すたちばな)」、すなわち食酢として利用される橘として、主に自家用で栽培されていたか、あるいは山野に自生していたと考えられている。徳島県名西郡神山町には、樹齢200年を超えるすだちの古木が今もなお実をつけ続けているという事実が、その長い歴史を物語る。
本格的な経済栽培へと舵が切られたのは、昭和30年代(1950年代後半)以降のことである。それまでは庭先果樹としての性格が強く、自給的な位置づけであったものが、日本の高度経済成長期とともにその価値が再認識されていく。 転換点となったのは、1981年の大寒波だ。この寒波は、当時徳島県でも盛んに栽培されていた温州みかんに甚大な被害をもたらした。一方で、比較的寒さに強いすだちは、この冷害を乗り越えた。この出来事を機に、徳島県は温州みかん栽培からすだちへの転換を積極的に推進する政策を打ち出す。 これにより、すだちの栽培面積は1932年の約4ヘクタールから1992年には660ヘクタールへと大幅に拡大し、徳島を代表する特産品としての地位を確立していく。 1974年には、その可憐な白い花が徳島県の県花に指定されるなど、文化的な側面からも地域のシンボルとして認知されていった。
徳島県がすだち栽培の適地とされる理由は、その地理的・気候的条件に深く根ざしている。まず、徳島県は「西南暖地」に属し、年間を通じて温暖な気候と豊富な日射量に恵まれている。 これは、柑橘類の生育に不可欠な条件である。さらに、四国山地や讃岐山脈に囲まれた地形は、水はけの良い傾斜地を多く提供する。 すだちは、弱酸性で水はけと通気性の良い土壌を好むため、こうした山間部の傾斜地は栽培に非常に適しているのだ。
また、すだちが他の柑橘類と比較して比較的寒さに強いという特性も、徳島での栽培拡大を後押しした要因である。 前述の温州みかんの冷害が示すように、柑橘栽培においては寒害が大きなリスクとなる。その中で、すだちは最低気温がマイナス6度を下回ると枯れる可能性があるものの、他の多くの柑橘よりは耐寒性を持つ。 この特性が、徳島県の中山間地域において、リスクを分散しながら果樹栽培を続ける上での選択肢となった。
加えて、長年にわたる栽培技術の蓄積も大きい。徳島県は優良系統品種の開発と選抜に力を入れ、安定した品質のすだちを供給するための体制を整えてきた。 病害虫対策や土壌管理、さらには収穫後の貯蔵技術の進化も、徳島すだちの品質と安定供給を支える重要な要素である。 これらの自然条件と人為的な努力が複合的に作用し、徳島県はすだちの主要な生産地としての地位を確固たるものにしたと言える。
すだちが徳島で独自の地位を築いた背景を理解するには、他の香酸柑橘類との比較が有効である。日本にはすだちの他に、ゆずやかぼすといった香酸柑橘が広く知られている。これらは皆、直接食用にするよりも、その香りや酸味を料理の調味料として利用する点で共通するが、それぞれに明確な個性と産地を持つ。
例えば、大分県を代表するかぼすは、すだちよりも一回り大きく、テニスボールほどのサイズになるのが一般的だ。 酸味はすだちよりまろやかで果汁が多めであり、香りは穏やかで上品とされる。 一方、高知県が主な産地であるゆずは、果皮がゴツゴツしており、果汁よりもその独特な香りを皮ごと利用する用途が多い。
これに対し、徳島県のすだちは、ゴルフボールほどの小ぶりなサイズで、約25グラムから40グラム程度。 果皮は鮮やかな緑色で、その特徴は「爽やかな酸味とすがすがしい香り」にある。 すだちの香気成分は12種類にも及ぶとされ、その皮を裂いた瞬間に広がる香りは、他の柑橘にはない凛とした清涼感を持つ。 果汁にはレモンを上回るビタミンCやクエン酸が豊富に含まれ、料理の「名脇役」として、焼き魚、刺身、鍋物、麺類、飲料など、幅広い用途で用いられる。
このように、香酸柑橘類はそれぞれの特性に応じて、産地と食文化の中で異なる役割を担ってきた。かぼすが万能調味料として、ゆずが香りのアクセントとして広く使われるのに対し、すだちはそのシャープな酸味と清涼感のある香りで、料理全体の印象を引き締める役割に特化していると言える。この明確な個性と、徳島県がその生産をほぼ独占する状況が、すだちを単なる食材以上の「徳島の顔」たらしめているのだ。
徳島県のすだち生産は、現在も国内シェアの約98%を占める圧倒的な状況にある。 主な生産地は神山町、佐那河内村、阿南市などに集中している。 かつては夏季に旬を迎える露地栽培品が中心であったが、近年ではハウス栽培技術や貯蔵技術の進歩により、年間を通して市場に出回るようになった。 3月から8月はハウス栽培品、8月から10月は露地栽培品、そして11月から翌年3月までは冷蔵貯蔵品が出荷される体制が確立されている。
しかし、その一方で課題も抱えている。すだちの栽培面積は1992年のピーク時(660ヘクタール)から減少し、2017年には397ヘクタールまで縮小した。 生産者の高齢化や後継者不足がその主な要因であり、収穫量の減少傾向も見られる。
こうした状況に対し、徳島県や関連団体は、すだち産業の維持・発展に向けた取り組みを進めている。「未来へすだちを繋ぐぞ!!共創プロジェクト」のような官民連携のプロジェクトでは、長期貯蔵技術の最適化や未利用資源の活用による商品開発、さらには生産振興や販路拡大が図られている。 2023年には「徳島すだち」が地理的表示(GI)保護制度に登録され、そのブランド価値の保護と向上にも力が入れられている。 伝統的な料理の薬味としての利用に加え、「すだち酒」や「すだち酎」といった飲料、ポン酢やジャムなどの加工品、さらには「すだちブリ」のような餌にすだちの果皮を混ぜて養殖するブランド魚、すだちを使ったクラフトビールやラーメンなど、新たな活用法も次々と生まれている。
徳島のすだち作りを深く見つめると、その背景には単なる自然の恵みだけではない、複合的な要因が絡み合っていることがわかる。すだちが古くから徳島に自生し、その風土に適していたという事実は確かにある。温暖な気候、水はけの良い傾斜地といった自然条件は、すだちの生育に理想的な環境を提供してきた。 しかし、それが現代のような圧倒的な生産シェアに繋がったのは、1980年代の温州みかん冷害という予期せぬ出来事と、それに続く徳島県の政策的な転換、そして生産者の努力という、人為的な選択と行動が大きく作用している。
この歴史は、地域特産品の形成が、必ずしも単一の要因で決まるわけではないことを示唆している。ある作物がその土地に「適している」という自然的条件は出発点に過ぎない。その上で、経済情勢の変化、災害、行政の支援、そして何よりも現場で栽培を担う人々の選択と技術革新が重なり合うことで、固有の産業と文化が育まれていく。徳島のすだちは、ゆずやかぼすといった他の香酸柑橘がそれぞれの産地で異なる道を歩んだように、その独自の風味と用途を見出され、「名脇役」としての地位を確立した。この、主役を引き立てるというニッチな役割が、かえって他の追随を許さない徳島すだちの強みとなり、現代においてもその香りを次代へと繋ぐ努力が続けられている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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