2026年5月14日
三陸の海はなぜ中華高級食材の宝庫?江戸時代からの歴史と自然の恵み
三陸の海が中華高級食材の宝庫とされる理由は、親潮と黒潮が交わる豊かな漁場とリアス式海岸の地形に加え、江戸時代の「俵物三品」貿易が高級食材としての価値を確立した歴史にある。自然条件と人の知恵が織りなす恵みの背景を解説する。
親潮と黒潮が育む、深海の宝物
三陸の海に立つと、複雑に入り組んだリアス式海岸の風景が目に飛び込んでくる。湾の奥には穏やかな水面が広がり、沖合には荒々しい波が打ち寄せる。この地の海が、なぜ中華料理の高級食材の宝庫として知られるのか。単なる海の豊かさだけでは説明できない、深い理由がそこにはある。
俵物三品が辿った道
三陸の海産物が中華の高級食材として名を馳せるようになったのは、江戸時代に遡る。鎖国政策が敷かれる中、清国(中国)との長崎貿易において、日本から輸出された主要な海産物があった。それが「俵物三品」と呼ばれる、干し鮑(乾鮑)、煎海鼠(いりこ、干しナマコ)、鱶鰭(フカヒレ)である。これらは俵に詰められ、日本の貴重な輸出品として重用された。
特に三陸産の干し鮑は、その品質の高さから「吉浜鮑(きっぴんあわび)」としてブランド化され、中国では最高級品として珍重されたという。 清の王族や富裕層の食卓を飾り、時には皇帝への献上品ともなった。江戸幕府にとって俵物は、金銀の海外流出を防ぐための重要な貿易品であり、その価値は貨幣にも匹敵するとされた。 この貿易は、清朝が台湾の鄭氏を平定し、1684年に遷界令を撤廃して以降、中国商船の来航が急増したことで活発化した経緯がある。 三陸の気仙地方(現在の岩手県大船渡周辺)は、高品質な海産物の産地として、また千石船の建造を担う造船技術の拠点としても、当時の日本経済を支える重要な役割を担っていたのだ。 しかし、乱獲などにより明治時代には干し鮑の生産が一時的に途絶えるほどの状況に陥った時代もあった。
海と森が織りなす恵み
三陸の海が高級食材の宝庫となった背景には、その独特の地理的・海洋的条件がある。まず、三陸海岸が形成するリアス式海岸の地形が挙げられる。複雑に入り組んだ湾は、外洋の荒波から養殖施設や沿岸漁業を守りつつ、適度な潮の流れによって新鮮な海水と栄養分を供給する。
沖合に広がる三陸沖は、世界三大漁場の一つとして知られる豊かな海域である。 ここでは、北から流れてくる栄養豊富な冷たい親潮と、南から流れる暖かい黒潮がぶつかり合う。この潮目の存在が、植物プランクトンの爆発的な増殖を促し、それを餌とする動物プランクトン、そして小魚から大型魚まで、多様な海洋生物が集まる要因となっている。 さらに、北上山地から流れ込む河川水は、森林の豊かなミネラルや栄養分を海に運び込み、プランクトンの生育を一層促進する。
これらの条件が、特に鮑や牡蠣の生育に理想的な環境をもたらす。三陸で主に獲れるエゾアワビは、豊富な海藻を食べて育つため、身が引き締まり、味が凝縮されると評価が高い。 また、牡蠣は冷たい海水と豊富なプランクトンの中でゆっくりと成長するため、身が引き締まり、濃厚な旨味と豊かなミネラル感を持つ。 こうした自然環境に加え、冬期の冷たく乾燥した季節風は、干し鮑やフカヒレといった乾燥加工品の製造にも適しており、高品質な「俵物」を生み出す土壌となった。
養殖と干物の「違い」を並べて
三陸の海産物の特徴は、他の主要産地との比較においてより明確になる。例えば牡蠣の場合、三陸と並ぶ一大産地である広島県では、波が穏やかで水深の浅い瀬戸内海での養殖が主流だ。広島では海底に杭を打ち、ロープから牡蠣を吊るす「延縄式養殖」や、干潟に小石を並べる「石蒔式養殖」といった伝統的な方法が用いられてきた。 これに対し、水深のある三陸では、牡蠣を常に海水中に浸した状態で育てる「耳吊り式」養殖などが適しているとされる。 冷涼な海水と豊富なプランクトンが、三陸牡蠣の引き締まった身と繊細な風味、高いミネラル感を育む一方、広島牡蠣は干満差の大きい環境で、より早い成長と異なる風味を持つ。
鮑についても、三陸のエゾアワビが海藻食による濃厚な風味で評価されるのに対し、三重県伊勢志摩地域ではクロアワビやメガイアワビが獲られ、女性の海女による漁が伝統的に行われてきた。 三陸では古くから男性の海士が深く潜って鮑を採取していた歴史があり、採取される鮑の種類だけでなく、漁の主体にも地域差が見られる。
また、乾燥加工品である「俵物」の文脈では、北海道も干しナマコの主要産地として知られるが、三陸の「吉浜鮑」が中国の宮廷料理にまで上り詰めたのは、その環境が育む鮑の質に加え、加工技術とブランド化の歴史が大きく作用した結果だろう。 単なる産地の違いだけでなく、その土地の環境に適応した養殖方法、漁の文化、そして加工技術が、それぞれの海産物の個性を際立たせている。
震災を越え、未来へ繋ぐ試み
2011年の東日本大震災は、三陸の水産業に甚大な被害をもたらした。多くの漁港施設、漁船、養殖施設が流失し、壊滅的な状況に陥った地域も少なくない。 しかし、この危機を乗り越え、三陸の漁業は力強い復興を遂げてきた。単に元に戻すだけでなく、持続可能な漁業を目指した新しい取り組みも生まれている。
例えば、宮城県南三陸町の戸倉地区では、震災以前からの課題であった過密養殖を見直し、養殖いかだの数を大幅に削減した。これにより、牡蠣の生育環境が改善され、品質向上と成長期間の短縮が実現したという。 この取り組みは、環境と社会に配慮した養殖業を認証する国際的な「ASC認証」を日本で初めて取得するに至った。
また、高齢化と後継者不足という全国的な課題に対し、石巻市では「フィッシャーマン・ジャパン」のような若手漁師による団体が結成され、「カッコよくて、稼げる、革新的な」漁業を目指し、漁師学校や漁業体験プログラム、求人サイト運営などを通じて、県外からの新規就業者を積極的に受け入れている。
鮑の養殖においても革新が進む。陸上養殖でエゾアワビを育てる元正榮北日本水産では、天然物が食用サイズになるまで約5年かかるのに対し、成長ホルモンや抗生剤を一切使わず約3年で出荷を可能にし、周年安定供給を実現している。 これらの現代的な取り組みは、伝統的な「俵物」の価値を再認識しつつ、未来へと繋ぐ三陸の知恵と努力の現れと言えるだろう。
恵みと人の知恵が交差する場所
三陸の海が中華の高級食材の宝庫であるという事実は、単なる自然の恵みだけでは語れない。そこには、世界有数の豊かな漁場を形成する親潮と黒潮の交錯、複雑なリアス式海岸が育む多様な生態系といった地理的・海洋的条件に加え、江戸時代から続く中国との貿易関係が特定の海産物に「高級品」としての価値を与えてきた歴史がある。そして、その価値に応えるべく、人々が培ってきた加工技術や、現代における持続可能な養殖への挑戦、さらには震災からの復興を経て生まれた新たな視点と工夫が重なり合っている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
出典
- 「俵物三品聖地巡礼」特設ページ - 三陸ツアーズ│岩手県大船渡市│三陸沿岸を満喫するオリジナルツアーsanrikutours.com
- 中国が最高峰とする三陸産アワビ・吉浜鮑を育てた岩手のオットセイ王(前編) 江戸時代から中国人を魅了してきた三陸のアワビ(3/6) | JBpress (ジェイビープレス)jbpress.ismedia.jp
- 三陸水産資源盛衰史│25号 舟運気分(モード):機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センターmizu.gr.jp
- 国際問題 外交問題 国際政治|e-論壇「百家争鳴」ceac.jp
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