2026/5/20
津本式とは?宮崎の漁師が確立した血抜き技術の全貌

津本式について詳しく知りたい。どういう経緯で血抜きを定着化したのか。
キュリオす
宮崎県の漁師・津本光弘氏が考案した「津本式」。魚の血を徹底的に抜くこの技術は、どのように確立され、魚の品質をどう変えたのか。SNSでの普及の経緯や、従来の活け締めとの違いも紹介。
魚を捌く際、まな板の上に置かれた魚から、血が流れ出す光景は日常的である。しかし、その「血抜き」という工程が、単なる汚れの除去を超え、魚の品質を劇的に変える技術として注目され、ある個人の名前を冠して定着するまでには、特定の技術と、それを広めるための地道な試行錯誤があった。なぜ、ある漁師の工夫が、これほどまでに日本の魚食文化に深く浸透し、「究極の血抜き」として広く認知されるに至ったのか。その背景には、魚の価値を見つめ直す視点と、科学的な探求、そして情報伝達の変革が重なっている。
「津本式」の名を冠する魚の処理法は、宮崎県の漁師、津本光弘氏によって考案された。彼がこの技術を確立するまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。津本氏はもともと、魚の鮮度保持に課題意識を抱いていたという。漁獲された魚は、時間の経過とともに品質が低下し、特に血が残っていると生臭さや劣化の原因となることは、古くから経験的に知られていた。しかし、その処理方法には限界があった。従来の活け締めは、脳を破壊することで魚の活動を止め、血抜きを行うのが一般的であったが、魚の体内に残る血を完全に排出することは難しく、また魚種や個体差によって効果にばらつきがあったのだ。
津本氏が本格的に血抜き技術の改良に着手したのは、2000年代後半とされる。彼は、魚の神経や血管の構造を独自に研究し、試行錯誤を繰り返した。魚の脊髄を破壊するだけでなく、血管に直接アプローチし、ポンプのように水を流し込むことで、体内の血を徹底的に排出するという発想は、当時の常識を覆すものだった。この過程で、彼は試作品の道具を自作したり、様々な魚種で実験を行ったりと、地道な検証を重ねた。当初は、自身の漁獲した魚の品質向上を目的とした個人的な取り組みであったが、その効果はすぐに周囲の注目を集めることになる。彼の処理した魚は、通常の魚とは明らかに異なる品質を保ち、特に熟成させた際の旨味の深さや、日持ちの良さが評価され始めたのだ。この時期、彼の技術はまだ「津本式」とは呼ばれていなかったが、後の普及に向けた重要な基礎が築かれていたと言えるだろう。
津本式の血抜きが、従来の魚の処理法と一線を画す点は、その徹底したアプローチにある。魚の品質劣化の主要因は、血液中のヘモグロビンが酸化することで発生する生臭さや、血液を栄養源とする細菌の増殖である。津本式では、まず魚の脳と脊髄を破壊し、魚を仮死状態にする。これにより、死後硬直の進行を遅らせ、筋肉のATP分解を抑制する効果が期待できる。次に、エラや尾の付け根から特殊な器具を用いて血管に水を流し込み、ポンプのように体内の血液を強制的に排出させる。この際、魚の体液が血液と入れ替わるように、透明な水が流れ出るまで続けるのが特徴である。
この一連の作業がもたらす効果は多岐にわたる。最も顕著なのは、魚肉の色持ちの向上と、生臭さの抑制である。血液が徹底的に除去されることで、魚肉の酸化が抑えられ、鮮やかな色合いが長く保たれる。また、細菌の繁殖が抑制されるため、鮮度保持期間が大幅に延長されるのだ。これにより、漁獲から時間が経っても、刺身や寿司として提供できる品質が維持されやすくなる。さらに、血抜きが不十分な魚は、熟成させると血の臭みが際立つことがあるが、津本式で処理された魚は、雑味がなく、魚本来の旨味が引き出されやすくなるという。
津本式の普及には、SNSをはじめとする情報伝達の変革も大きく寄与した。津本氏自身がYouTubeなどでその技術を公開し始めたことで、漁業者だけでなく、料理人や一般の釣り人にもその存在が知られるようになった。動画を通じて、具体的な手順や効果が視覚的に伝えられたことで、それまで一部の職人技とされてきた魚の処理技術が、より多くの人々にとって身近なものとなったのである。また、処理された魚の品質の高さが、料理人たちの間で口コミで広がり、高級料理店での採用が増えたことも、その地位を確立する上で重要な要因となった。
魚の鮮度保持や品質向上に対する取り組みは、津本式が唯一ではない。日本には古くから「活け締め」という技術が存在し、魚の脳を破壊することで鮮度を保つ手法が確立されてきた。これは、魚が暴れることで筋肉に乳酸が蓄積し、品質が劣化するのを防ぐ目的がある。活け締めされた魚は、死後硬直の進行が緩やかになり、身の締まりが良いとされてきた。
しかし、活け締めと津本式には決定的な違いがある。活け締めが主に魚の活動を止めることに主眼を置くのに対し、津本式は体内の血液を物理的に、かつ徹底的に排出することに特化している点だ。活け締めだけでは、血管内に残る血液を完全に除去することは難しい。この残存血液が、魚肉の酸化や生臭さの原因となるため、津本式は活け締めをさらに一歩進めた、あるいは補完する技術と位置づけられるだろう。
海外に目を向ければ、魚の鮮度保持には様々な伝統的・現代的な手法が存在する。例えば、北欧ではニシンの塩漬けや燻製、地中海地域では魚のオイル漬けなど、保存性を高めるための加工技術が発達してきた。これらの方法は、微生物の活動を抑制したり、空気との接触を遮断したりすることで、魚の長期保存を可能にする。また、近年では、瞬間冷凍技術や特殊なガスを用いた包装など、科学的なアプローチによる鮮度保持技術も進化を遂げている。
津本式がこれらの多様な手法の中で際立つのは、加工ではなく、あくまで「生」の魚が持つ潜在的な品質を最大限に引き出すことに焦点を当てている点である。塩漬けや燻製が素材を変化させるのに対し、津本式は魚本来の姿を保ちながら、その価値を高める。このアプローチは、素材の味を重視する日本の食文化と特に親和性が高かったと言える。
津本式の技術は、今や漁業の現場から高級料理店、さらには一般家庭の食卓にまでその影響を広げている。漁業者にとっては、津本式で処理された魚は高値で取引されることが多く、魚の付加価値を高める手段として定着しつつある。特に、これまで市場価値が低かった魚種でも、津本式で処理することで新たな価値が見出されるケースも出てきている。流通業者も、鮮度保持期間が延びることで、遠隔地への輸送や在庫管理が容易になるというメリットを享受している。
料理人の間では、津本式で処理された魚の熟成が新たなトレンドを生み出した。徹底的に血抜きされた魚は、熟成させることでアミノ酸が増加し、より複雑で深みのある旨味を帯びる。これにより、魚の新たな魅力を引き出す調理法が探求され、消費者の魚に対する期待値も高まっている。
一方で、津本式の普及にはいくつかの課題も存在する。まず、その技術を習得するには、魚の解剖学的知識と、繊細な手技が求められる。特に脊髄の破壊や血管への注水は、経験と熟練が必要となる作業であり、誰でも簡単にできるわけではない。また、専用の器具が必要となる場合もあり、初期投資もかかる。さらに、徹底した血抜き作業には、通常の処理よりも時間と手間がかかるため、大量の魚を扱う現場では、効率との兼ね合いも考慮する必要があるだろう。
しかし、これらの課題を乗り越え、津本式が普及した背景には、魚の「鮮度」という概念が、単なる時間の経過だけでなく、「処理の質」によっても大きく左右されるという認識が広まったことがある。消費者がより高品質な魚を求めるようになったことも、この技術の需要を高める一因となっている。
津本式の登場と普及は、単一の技術革新に留まらない。それは、私たちが魚の「鮮度」や「美味しさ」をどのように捉えてきたか、そしてこれからどのように向き合っていくべきかという、食文化の根幹に関わる問いを投げかけていると言える。
これまで、魚の鮮度は漁獲からの時間経過に大きく依存すると考えられてきた。しかし、津本式は、適切な処理を施すことで、魚の品質が飛躍的に向上し、その価値が再定義される可能性を示した。これは、時間軸だけでなく、「手間」や「技術」が魚の価値を大きく左右するという、新たな視点をもたらしたのだ。
また、津本式の普及は、個人の探求心と、それを共有する現代の情報伝達手段が、いかに伝統的な産業に変化をもたらしうるかを示す好例でもある。一人の漁師の試行錯誤が、SNSを通じて瞬く間に広がり、プロの料理人から一般の消費者にまで影響を与えたことは、情報の非対称性が薄れ、より良いものが評価されやすい時代になったことを示唆している。
津本式の血抜きは、魚を「生臭いもの」「早く食べなければならないもの」という従来のイメージから、「熟成によって旨味が増すもの」「じっくりと向き合う価値のあるもの」へと変貌させた。それは、魚という食材が持つ潜在能力を最大限に引き出すための、一つの具体的な解を提示したと言えるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。