2026/5/20
宮島の鹿はいつからいるの?奈良の鹿との違いは?

厳島神社に鹿が来たのはいつ?また、なぜ??
キュリオす
約6000年前の離島化で本土から分断された鹿が厳島に定着。明確な神鹿伝説はないが、島全体の神聖視と殺生禁断の信仰で保護されてきた。現代では野生動物管理と観光との間で複雑な状況にある。
厳島に降り立つと、まず目に入るのは潮の満ち引きに姿を変える大鳥居と、その足元を悠然と歩く鹿たちの姿だろう。観光客のすぐそばを通り過ぎ、土産物屋の軒先を覗き込むその姿は、まるで島の住人のようだ。しかし、この鹿たちはいつから、そしてなぜこの神聖な島にいるのか。単なる野生動物として片付けられない、その存在の背景には、長い歴史と、幾重にも重なる信仰の形が見えてくる。奈良や鹿島の鹿たちとは異なる、厳島ならではの問いがそこにはある。
宮島の鹿の起源は、約6000年前の縄文海進期に遡ると考えられている。当時、本土と地続きだった宮島が海面上昇により離島化する過程で、本土側の鹿の群れから分断され、島内に孤立した個体群がその始まりだという。つまり、彼らは厳島神社が創建されるはるか以前から、この島に生息していたことになる。
文献にその姿が確認できるのは、鎌倉時代に成立したとされる『撰集抄』である。この書物には、約820年前の時点で「宮島には鹿が多い」という記述が見られる。江戸時代に入ると、厳島を描いた絵図や宮島絵図にも鹿が数多く描かれ、当時の文人や僧侶の旅日記にもその存在が記されている。慶長13年(1608年)には、広島藩初代藩主の福島正則が鹿の鳴き声に触れる歌を残しており、この時代には既に、鹿が島に暮らす人々の日常風景の一部であったことがうかがえる。
明治時代に入ると、1879年(明治12年)に広島県令によって島全体が禁猟区に指定され、鹿は法的な保護の対象となった。しかし、戦中から戦後にかけて、食糧難や進駐軍による狩猟の影響で、宮島の鹿の個体数は激減し、一時はその姿がほとんど見られなくなったという。
この激減した鹿を再生させるため、昭和25年(1950年)に奈良県からつがいの鹿が移入され、厳島神社の裏手で保護育成されたという話がある。これにより個体数は増加し、昭和40年代には保護施設から鹿が市街地へ出るようになったとされる。一方で、宮島の鹿のDNA解析では、奈良の鹿とは遺伝的に異なる系統であることが確認されており、本土の西日本集団に近いものの、ある程度独立した集団であるとされている。この事実は、「奈良から連れてきた」という俗説に対して、その信憑性を再考させるものだろう。
厳島に鹿が定着し、数を維持してきた背景には、特定の神話ではなく、島そのものが持つ神聖性への信仰が深く関わっている。奈良の春日大社のように、神様が鹿に乗って降臨したという明確な「神鹿伝説」は厳島神社には存在しない。しかし、宮島全体が古くから「神の島」として崇められてきたことで、血を流す行為が忌避され、結果的に鹿の殺生が禁じられてきたのだ。この「殺生禁断」の思想が、鹿の保護につながった大きな要因である。
また、宮島では古くから大規模な農業があまり行われなかったという地理的・歴史的背景も、鹿と人との共存を促した一因である。農作物の被害という、他の地域でしばしば見られる人獣害の発生が少なかったため、鹿が地域社会から排除される必要性が低かったと考えられる。
江戸時代には、既に宮島は行楽地として栄え、多くの観光客が訪れるようになっていた。この頃には鹿が多数生息し、「鹿天国」のような状況が形成されていたことが示唆されている。観光客が餌を与えることで鹿はさらに市街地に集まるようになり、戦後の保護育成も、観光資源としての側面が意識されていた。宮島の自然環境自体も、瀬戸内海の中でも稀に見る豊かな植生を誇り、四季を通じて鹿が多様な植物を摂取できる環境を提供してきた。これらの複合的な要因が、厳島の鹿の存在を形作ってきたと言えるだろう。
日本の歴史において、鹿が神聖な存在として扱われる地域は厳島だけではない。特に奈良の春日大社と茨城の鹿島神宮は、鹿と信仰が深く結びついた場所として知られている。
奈良公園の鹿は、春日大社の創建にまつわる神話に由来する。768年、鹿島神宮の武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が白い鹿に乗って奈良の御蓋山に降臨したという伝承があり、以来、鹿は神の使い「神鹿」として手厚く保護されてきた。この神話は奈良の鹿の存在理由として明確であり、国の天然記念物にも指定されている。鹿島神宮においても、鹿は神聖視されており、地元のサッカークラブ「鹿島アントラーズ」のエンブレムに鹿が描かれるなど、地域文化に深く根付いている。
これに対し、厳島には奈良のような「神様が鹿に乗ってきた」という明確な神鹿伝説は存在しない。厳島の鹿は、特定の神の乗り物としてではなく、島全体が神域であるという包括的な信仰、すなわち「血の穢れを忌避する」神道の思想によって保護されてきた点にその特殊性がある。奈良が神話に基づいた「神の使い」としての鹿であるならば、厳島は「神の島」に生息する存在として、その命が尊ばれてきたと言える。
また、鹿と人との関わり方にも違いが見られる。奈良では「鹿せんべい」の販売が観光の一部として定着し、鹿寄せのような伝統行事も行われている。一方で宮島では、2007年から鹿せんべいの販売が禁止され、観光客への餌やりも禁止されている。これは、人間に依存しすぎた鹿が健康を害したり、市街地の植生に影響を与えたりする問題が顕在化したためである。奈良の鹿が「神の使い」として積極的に観光に組み込まれてきたのに対し、宮島の鹿は「野生動物」としての側面を強調し、人との距離を置く管理方針がとられているのだ。
現在、宮島には約500頭の野生のニホンジカが生息しており、そのうち約200頭が市街地周辺で暮らしていると推計されている。かつては観光客が与える餌に依存し、市街地での生息数が増加した時期もあったが、2007年に廿日市市が鹿せんべいの販売を中止し、餌やりを禁止して以降、個体数は一時的に減少傾向を見せた。しかし、その後再び増加に転じ、現在に至る。
行政は、鹿を本来の野生動物として自然に戻す方針を掲げ、餌やり禁止を徹底することで市街地から鹿を遠ざけようとしている。この背景には、人間が与える食べ物に慣れた鹿がゴミを漁り、ビニール袋などを誤食して健康を害する問題や、観光客への噛みつきなどのトラブルが多発したことが挙げられる。また、鹿による植生被害が島の生態系に与える影響や、土砂災害のリスクを高める可能性も指摘されている。
しかし、この方針は容易なものではない。長年人間に餌を与えられてきた鹿たちは、急な餌不足に陥り、痩せ細る個体も確認されている。この状況を不憫に感じた一部の愛護団体や住民が、行政の禁止にもかかわらず餌やりを続けており、行政と愛護派の間で軋轢が生じているのが現状である。避妊処置などの個体数管理策も検討されるが、倫理的な問題から実施には至っていない。厳島の鹿たちは、神の島という歴史的背景と、現代の野生動物管理の狭間で、複雑な状況に置かれている。
厳島に鹿がいつから存在し、なぜそこにいるのかという問いは、単一の明確な答えを持つものではない。奈良の鹿が神話に彩られた「神使」として特別視されてきたのに対し、厳島の鹿は、約6000年前に本土から分断され、島という閉鎖的な環境で独自の進化を遂げてきた個体群であり、その存在自体が島の自然史の一部である。そこに、島全体を神域とする古来からの信仰が重なり、殺生が禁じられることで、その個体数が維持されてきた。
しかし、現代に入り観光地化が進む中で、人間が与える餌によって鹿の行動様式が変化し、本来の野生の姿と、人間社会との間に歪みが生じた。かつての「神の使い」という認識が、現代では「野生動物」としての管理の必要性と衝突しているのだ。宮島の鹿は、神聖な島という枠組みの中で、自然の摂理と人間の営みが複雑に絡み合い、変化を続ける関係性を象とする存在である。その姿は、歴史と信仰、そして生態系のバランスという、複数の「余白」が交錯する厳島の現在地を静かに示している。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。