2026/5/29
藤枝・丸七製茶とななや、抹茶ジェラートとボトリングティーで挑む

藤枝の丸七製茶とななやについて詳しく教えて欲しい。今風のボトリングティーもあったりして驚いた。
キュリオす
藤枝の丸七製茶は、衰退した玉露産業を抹茶生産に転換し、「静岡抹茶」ブランドを確立。ななやでは「世界一濃い抹茶ジェラート」を開発し、ボトリングティーも展開。伝統と革新で日本茶の新たな消費シーンを創造する。
藤枝がお茶の産地として名を馳せたのは古く、江戸時代の古文書にも「茶園」の記述が見られるほどだ。明治時代には東海道の宿場町として栄え、多くの茶商が集まる「茶町」が形成され、お茶の集散地として発展した歴史を持つ。丸七製茶は1907年(明治40年)に、七人の茶商によって静岡茶を海外に輸出したことから始まったとされる老舗である。当初は農家から茶葉を買い付けるブローカーとして創業し、高度経済成長期には国内需要にも対応することで業容を拡大していった。
しかし、時代とともに課題も浮上する。かつて藤枝市の山間地、旧岡部町は「玉露の三大産地」と謳われ、明治期には生糸と並ぶ日本の主要輸出品として外貨獲得に貢献した。だが、高度経済成長期に入ると、消費者の嗜好の変化により「時間をかけてゆっくり味わう」玉露の需要は激減する。さらに、岡部産の玉露は大半が京都の業者に納品され、産地ブランドが確立されていなかったことも相まって、玉露生産は衰退の一途を辿ったという。
こうした状況を打開すべく、丸七製茶の八代目社長である鈴木成彦氏は、玉露の栽培方法と抹茶の原料となる碾茶(てんちゃ)の栽培方法が似ていることに着目する。そして1988年、地元農業協同組合に働きかけ、藤枝市での碾茶生産に乗り出した。これが「静岡抹茶」の始まりとなるが、道のりは平坦ではなかった。京都の宇治抹茶という強力なブランドが立ちはだかり、当初は地元の製麺・飲料メーカーに売り込んでも「宇治の抹茶しか買わない」と断られることが多かったという。
丸七製茶が、当初の苦境を乗り越え、現代的な商品開発へと舵を切るに至った背景には、いくつかの要因が重なっている。まず挙げられるのは、市場のニーズへの対応と品質管理への徹底したこだわりである。抹茶を乳製品や生菓子に使用する際、ごく稀に菌が繁殖するリスクがあるという食品メーカーの悩みを知った丸七製茶は、全国に先駆けて殺菌処理装置を導入し、安全性を担保した抹茶製造をアピールした。これにより、多くの食品メーカーで岡部町の抹茶が採用される道が開かれた。
次に、「ななや」の設立と「世界でいちばん濃い抹茶ジェラート」の開発がある。地元での静岡抹茶の認知度が低い中で、「岡部の抹茶を使う菓子を作ってくれないのなら自分たちで作ろう」という発想から、2010年に「ななや藤枝本店・自家製菓子工房」をオープンしたのだ。ここでは、抹茶本来の美味しさや色の美しさを伝えるため、最高品質の抹茶を惜しみなく使った菓子を提案し、特に抹茶の濃さを7段階から選べるジェラートは、その意外性と品質の高さから「世界一濃い抹茶ジェラート」として瞬く間に話題を呼んだ。この「7」という数字は、丸七製茶の屋号に由来し、かつ機械の攪拌能力の限界を超えるほどの挑戦によって生み出されたという。
さらに、現代のライフスタイルに合わせた「ボトリングティー」の開発も重要な転換点だった。丸七製茶の代表は20年以上前からワインソムリエから「これからはノンアルコール飲料の時代が来る」という言葉を聞いており、ボトリングティーの構想を温めていたという。コロナ禍を経て、2020年にその構想を実現させ、「CRAFT BREW TEA」として販売を開始した。これは、ワインを嗜むように日本茶を楽しむという新しい提案であり、煎茶、玉露、ほうじ茶、紅茶など30種近い品種を展開し、摘採日を一日のみに限定するなど、徹底したこだわりでその香味を追求している。
丸七製茶とななやの取り組みは、他の伝統的な茶産地の動向と比較すると、その独自性が際立つ。例えば、京都の宇治抹茶は、その歴史とブランド力によって揺るぎない地位を築いている。宇治の茶農家や茶商は、伝統的な製法を守りつつ、高級抹茶としての価値を維持することに注力する傾向が強い。一方、静岡県藤枝市は、宇治に比べると抹茶としての知名度で後塵を拝してきた歴史がある。この「ブランドの壁」を乗り越えるため、丸七製茶は「静岡抹茶」を前面に押し出す戦略を選んだ。
多くの茶産地では、茶葉の生産から加工、販売までを分業するケースも少なくない。しかし丸七製茶は、契約茶園の栽培指導から荒茶製造、仕上茶製造、そして抹茶やインスタント茶などの粉末茶の企画・製造、さらには小売までを一貫して手掛ける体制を築いている。これにより、品質管理の徹底と、消費者のニーズに合わせた柔軟な商品開発が可能となっている。
また、ボトリングティーという形態も、日本茶業界における新たな挑戦である。ワインや日本酒の世界では高級ボトリング製品が確立されているが、日本茶で同様の市場を創造する試みはまだ少ない。丸七製茶は、0.1℃単位で抽出温度を調整するなど、それぞれの茶葉に最適な淹れ方を追求し、その香味をボトルに閉じ込めている。これは、単に手軽さを追求するだけでなく、日本茶の「淹れる」という行為の専門性を、最高の状態で提供しようとする試みであり、ワインのように「ペアリング」を楽しむ新しい文化の提案でもある。このように、他産地が伝統の継承や既存市場の維持に注力する中で、丸七製茶は「静岡抹茶」という地域ブランドの確立と、日本茶の新たな消費シーンを創造するという、攻めの姿勢を明確にしている。
現在、丸七製茶が運営する「ななや」は、藤枝本店のほか、静岡、牧之原、東京青山、京都三条にも店舗を展開している。藤枝本店は、かつてお茶工場だった敷地の一部を改装して2010年にオープンし、今では週末には車の行列ができるほどの人気店となった。店内では、抹茶ジェラートの濃さのグラデーションが目を引くほか、抹茶を使ったロールケーキやチョコレート、そして多様な日本茶製品が並ぶ。特に「世界でいちばん濃い抹茶ジェラート プレミアムNo.7」は、その濃厚な味わいと香り高さで多くの客を魅了している。
さらに、丸七製茶は海外市場にも積極的に目を向けている。2016年には、輸出先の嗜好や基準に合わせた抹茶の製品化に取り組み、アメリカ、ヨーロッパ、アジアなど世界各地への輸出拡大を目指すと発表した。残留農薬試験を個別に行い、FDA(米国食品医薬品局)のFSMA(食品安全強化法)やハラル認証、コーシャ認証にも対応するなど、国際基準への適合にも力を入れている。これにより、「MATCHA」として世界的に認知されるようになった抹茶の需要を捉え、日本の食文化を広める役割も担っている。
一方で、日本茶業界全体が直面する課題も大きい。国内では洋食中心の食生活への移行が進み、お茶の消費量は減少傾向にある。また、生産農家の高齢化や後継者不足も深刻で、平均年齢が60歳を超える異常な状況だという。こうした中で、丸七製茶は単なる製造販売に留まらず、お茶摘み体験ができる観光施設の運営や、藤枝市と連携した旧東海道日本遺産の整備、さらにはChatGPTを活用した商品開発への挑戦など、多角的なアプローチで日本茶の未来を切り開こうとしている。
藤枝の地で、丸七製茶とななやが見せる姿は、伝統産業が現代において生き残り、発展していくための一つの解を示している。彼らの挑戦は、単に目新しい商品を生み出すことに留まらない。そこには、衰退の危機に瀕した地域のお茶産業を立て直し、「静岡抹茶」という新たな価値を創造しようとする強い意志がある。
「世界でいちばん濃い抹茶ジェラート」や多品種の「ボトリングティー」は、消費者の目を引きつけるための仕掛けであると同時に、最高品質の茶葉を最高の形で提供するという、老舗のプライドの表れでもある。彼らは、お茶の味や香りを追求するだけでなく、安全性やトレーサビリティといった現代的な要求にも応え、国内外の多様な市場へと積極的に打って出ている。
伝統とは停滞ではなく、絶え間ない革新の積み重ねによって築かれるものだという見方もできるだろう。丸七製茶の歩みは、かつて「茶町」として栄えた藤枝の歴史の上に、新たな「茶の文化」を刻もうとする、静かながらも確固たる挑戦の記録である。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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どちらも地域特産品のブランド化戦略に焦点を当てており、藤枝の「静岡抹茶」と博多あまおうのブランド戦略には共通点が見られる。
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