2026年5月15日
ホヤはなぜ「海のパイナップル」?平安時代から続く五味の珍味
東北の海で「海のパイナップル」と呼ばれるホヤは、貝でも魚でもない脊索動物。平安時代から食され、養殖の歴史も古い。甘味、塩味、苦味、酸味、うま味の五味を併せ持つ独特の風味は、その生態と土地の食文化に根差している。震災を乗り越え、現代も様々な調理法で親しまれている。
海の底に佇む「海のパイナップル」
東北の海辺を旅する中で、市場の片隅に並ぶ、その奇妙な姿に目を留めたことがある。赤みがかったゴツゴツとした外皮に、まるでパイナップルのような突起。それがホヤだ。私はまだ食べたことがないが、その独特の見た目から、どのような味がするのだろうかと想像するたびに、好奇心が刺激されてきた。ホヤは「ホヤ貝」と呼ばれることもあるが、実際には貝でも魚でもない。生物学的には脊索動物門に属し、驚くべきことに、私たち人間と同じ脊索動物の仲間なのだという。幼生期にはオタマジャクシのような形をして泳ぎ、脊索を持つが、成体になると海底の岩などに固着し、植物のようにも見える姿に変態する。この変態の過程で脊索は消失するものの、その生命の営みの中に、人間との遠い共通点を見出すことができるのは興味深い。
遥か平安から続く食文化
ホヤが日本の食文化に登場したのは、遥か昔、平安時代前期にまで遡る。宮城県石巻地域では、約1000年前からホヤが好んで食べられていたという記録が残されている。 仙台藩主伊達政宗も正月料理としてホヤのお吸い物を食したと文献にあることから、古くから珍重されてきたことが窺える。
養殖の歴史もまた古い。明治時代にはすでに宮城県唐桑村(現在の気仙沼市唐桑町)で養殖が始まったとされている。 明治38年頃、畠山豊八氏が船の錨綱にしていた山ブドウのつるに多くのマボヤが付着しているのを見て、これをヒントに山ブドウのつるを採苗器とする養殖方式が始まったという説もある。 本格的な養殖は昭和初期頃からとされ、岩手県では昭和10年頃から水産試験場で養殖試験が試みられ、昭和15年には宮城県唐桑からの種苗を購入して山田湾で養殖が始まったという記録もある。
ホヤの養殖は、まずホヤが産卵する冬場にカキの殻などを海中に沈め、卵から孵化したオタマジャクシ型の幼生が付着するのを待つ採苗から始まる。 この稚ホヤが付着したカキ殻を養殖用ロープに等間隔に挟み込み、養殖筏から海中に吊るす。 出荷までには3年から4年という長い歳月を要する。 このように、ホヤは自然の恵みを待つだけでなく、人々の手によってその生産が支えられてきた歴史を持つ。
五味を宿す海の果実
ホヤの最大の魅力は、その独特の風味にあると言える。甘味、塩味、苦味、酸味、うま味という、人間が感じる味覚の基本要素「五味」を全て一度に味わえる珍しい食材なのだ。 この複雑な味わいは、ホヤが海中のプランクトンやデトリタスを餌とし、その栄養を体内に蓄える過程で形成される。
ホヤの身は、プリプリとした歯応えがありながらも、口の中でとろけるような食感を持つ。 新鮮なホヤは臭みが少なく、むしろ甘く爽やかな磯の香りが特徴とされる。 しかし、鮮度が落ちると独特の臭みやえぐみが増すため、産地での消費が主流となり、流通が限られる要因ともなっている。
日本では主に「マボヤ」と「アカホヤ」が食用とされている。 マボヤは「海のパイナップル」とも呼ばれるゴツゴツとした外見で、肉厚で甘みが強く、五味が凝縮された濃厚な味わいが特徴だ。 一方、アカホヤはマボヤに比べて苦味や独特の香りが控えめで、すっきりとした甘みが際立つ。 マボヤが主に東北で養殖されるのに対し、アカホヤは北海道で水揚げされる天然物がほとんどだ。 旬も異なり、マボヤは夏(5月〜8月頃)、アカホヤは冬から春にかけてが美味しい時期とされる。 旬の時期にはグリコーゲンが豊富に含まれ、甘みと旨味が増すという。
異物を受け入れる舌の向こうに
ホヤの味は、しばしば「好き嫌いが分かれる」と評される。 この「異物感」は、他の海産物と比較することで、その特異性がより明確になる。例えば、ウニやカニミソも独特の風味を持つが、それらは濃厚な旨味や甘みが前面に出ることが多い。一方、ホヤは五味すべてを一度に感じさせる複雑さがあり、特に苦味や磯の香りが強く感じられることがある。これは、海中のあらゆる要素を濾過して取り込むホヤの生態に由来するのかもしれない。
また、納豆やブルーチーズのように、その土地の気候風土や歴史の中で育まれた「発酵食品」や「熟成食品」が持つ、一見すると異質な香りが、やがて深い旨味として受け入れられる過程と、ホヤの受容には共通点があるようにも思える。ホヤが持つ「海の香り」は、鮮度が落ちると「磯臭さ」と表現されることもあるが、これは裏を返せば、非常にデリケートな香りのバランスを持つということだろう。 産地で獲れたばかりの新鮮なホヤは、この香りが爽やかであり、苦味も甘みに変わるという。
この「異物」とも感じられる風味を受け入れるには、時に経験や慣れが必要となる。それは、その土地の文化や歴史に触れることで、初めて理解できる味覚の領域なのかもしれない。他の地域や時代に目を向ければ、フランスやイタリア、チリなど地中海世界の一部でもホヤは食材として利用されており、その独特の魅力は国境を越えている。 しかし、日本、特に東北地方においては、単なる食材以上の、地域に根ざした食文化の象徴としての意味合いが強い。
震災を越え、食卓へ
ホヤは宮城県が全国トップクラスの生産量を誇るが、東日本大震災で養殖漁場は壊滅的な被害を受けた。 ホヤは出荷できる大きさに育つまで3〜4年かかるため、復興には長い時間を要した。 しかし、漁業者の努力と多くの支援により、2014年には養殖ホヤが復活を遂げた。
復興後の課題として、かつて生産量の70%を消費していた韓国が、福島第一原発事故後に東日本の水産物輸入規制を継続していることが挙げられる。 このため、せっかく育ったホヤの販路が失われ、大量廃棄される事態も発生した。 これに対し、地元ではホヤの消費拡大に向けた取り組みが進められている。「ホヤの日」(4月8日)の制定や、宮城県気仙沼市の観光キャラクター「ホヤぼーや」のように、ホヤを身近な存在としてPRする動きもある。
現代の食卓では、刺身や酢の物が定番だが、加熱調理による新たな食べ方も提案されている。天ぷらにすれば甘みが引き立ち、カレー風味の衣で唐揚げにしたり、蒸しホヤにすることで旨みが凝縮され、食感も際立つ。 石巻地域には古くから伝わる「ホヤ雑煮」もあり、ホヤを出汁としても活用する。 また、ホヤは亜鉛や鉄分、ビタミンB12、EPA、DHAなどの栄養素も豊富に含む低カロリー食材であり、美容や健康への効用も注目されている。
海と人をつなぐ味覚の記憶
ホヤを初めて口にする際、多くの人はその見た目や香りから特定の味を想像するだろう。しかし、実際に味わってみると、その複雑な五味のバランスに驚かされる。これは、単に「珍味」という言葉で片付けられない、海そのものが持つ風味の凝縮である。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
出典
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