2026/5/28
杉本博司の記憶と小田原の水平線、江之浦測候所の成り立ち

小田原文化財団 江之浦測候所について詳しく知りたい。どういう経緯でここにできたのか?
キュリオす
現代美術作家・杉本博司が幼少期の記憶を原点に構想した小田原文化財団 江之浦測候所。相模湾の水平線を望む地に、光と時間の観測装置として約10年かけて建設された。人類とアートの起源に立ち返る壮大な試みを紹介する。
小田原から熱海へと向かう海岸線は、車窓から一瞬ごとに表情を変える相模湾の風景が流れていく。その途上、江之浦の小高い丘に、ある種の静謐さをたたえた空間が姿を現す。小田原文化財団 江之浦測候所。現代美術作家・杉本博司が手がけたこの場所は、単なる美術館でもギャラリーでもない。訪れる者は皆、「測候所」という名にまず戸惑うだろう。しかし、その名が示す通り、ここは太古の人類が天空を測り、自らの存在を認識したであろう行為を追体験するための場所なのだ。なぜこの地に、これほど壮大なスケールで、光と時間の観測装置が築かれたのか。その問いの根源には、杉本自身の記憶と、人類が失いつつあるある種の感覚への問いかけがある。
江之浦測候所の構想は、現代美術作家・杉本博司が10年以上前から温めてきたものだという。彼は自身のルーツを、幼少期に旧東海道線を走る湘南電車から見た小田原の海景に求めている。熱海から小田原へ向かう列車が「眼鏡トンネル」を抜けた瞬間、目の前に広がる鋭利な水平線を持った大海原の光景が、杉本にとって「人としての記憶の始まり」だったと語る。この体験こそが、後に彼の代表作となる写真シリーズ「海景」の着想源となったのだ。
杉本は、この記憶の原点である地に、日本文化の精髄を世界へ発信する拠点として小田原文化財団を設立し、江之浦測候所を建設する壮大な構想を抱いた。2009年に財団が設立され、約10年の歳月をかけて建設が進められ、2017年10月に一般公開が始まった。敷地はかつて蜜柑畑だった約3000坪(開発面積)の広大な斜面で、相模湾を望む類い稀な景観が選ばれた。建設には杉本自身と建築家・榊田倫之が主宰する新素材研究所が設計を担当し、長年の構想と熟考が重ねられたという。
単なる展示施設ではなく、人類とアートの起源に立ち返り、国内外への文化芸術の発信地となることを目指すこの場所は、「未来の遺跡」となることを想定して設計された。杉本は「5000年経ったときにどうなるかを想定して設計している」と語り、ガラスがなくなっても、屋根が朽ちても、大谷石の壁は残るだろうという、悠久の時間を射程に入れた建築を試みた。これは、近代以降の文化が環境問題によって失われた時に何が残るのか、という問いへの杉本なりの回答でもある。
江之浦測候所が「測候所」と名付けられたのは、古代人が意識を持ってまずしたことが、天空のうちに自身の場を確認する作業であり、それがアートの起源でもあったという杉本博司の考えに基づいている。施設全体が、冬至、夏至、春分、秋分の朝日の軸線に合わせて配置されているのが特徴だ。
主要な施設の一つに、「夏至光遥拝100メートルギャラリー」がある。夏至の日の出の方角を正確に捉えるように設計された全長100メートルの細長い空間で、内部には杉本の代表作「海景」シリーズが展示されている。壁面には大谷石が用いられ、自然のままの素材感が強調されている。ギャラリーの先端からは、本物の相模湾の水平線が広がり、作品と実景が呼応する。また、「冬至光遥拝隧道」は、冬至の日の出の光が約70メートルのトンネルを一直線に貫くように計算されている。この光の現象は、古代人が太陽の運行から時間の規則性を認識したであろう行為を現代に再現するものだ。
さらに、敷地内には「光学硝子舞台」と「石舞台」という二つの屋外舞台がある。光学硝子舞台は、カメラレンズの素材となる光学硝子から作られ、海面が反射する光を吸い込み、水平線の彼方へ演者を誘う。石舞台は本格的な能舞台の寸法を基本として設計されており、様々な公演プログラムが開催される。これらの舞台は、自然光や海を背景とした、時間や季節の移ろいと一体となった芸術体験を可能にする。
建築物には、日本の各時代の建築様式や工法が再現されている点も重要である。例えば、正門である「明月門」は、もとは鎌倉の明月院の正門として室町時代に建てられたものが移築・再建されたものだ。また、奈良の国宝・円成寺春日堂を採寸して再現した「春日社社殿」も配されている。擁壁や造園には、根府川石や小松石といった地元の石材が多用され、早川石丁場群跡から出土した江戸城石垣用の原石も用いられるなど、足元の石ひとつにも深い意味が込められている。これらの伝統的な素材や工法は、現代では継承が困難になりつつある技術を未来に伝えるという財団の使命も帯びている。
江之浦測候所を他の芸術施設と比較するならば、まずそのユニークな立ち位置が際立つだろう。多くの美術館が、作品を収蔵・展示する「箱」としての役割を主とするのに対し、江之浦測候所は敷地全体が杉本博司の壮大なランドスケープであり、それ自体が作品である。展示される作品も、杉本自身の写真作品や彼が収集した古美術、化石など多岐にわたるが、それらはこの場所のコンセプトと深く結びついている。
北海道のモエレ沼公園が彫刻家イサム・ノグチによる「公園全体をひとつの彫刻作品」とするコンセプトで知られるように、芸術家が自然景観を作品に取り入れた事例は他にも存在する。しかし、モエレ沼公園がゴミ埋め立て地の再生という明確なテーマを持つのに対し、江之浦測候所は、杉本の「海景」シリーズの原点となった小田原の水平線という、特定の場所の記憶と結びついている。この「場所ありき」のサイトスペシフィックな性格は、他の場所では成し得ない唯一無二の価値を生み出している。
また、江之浦測候所は、単に美術作品を鑑賞するだけでなく、古代人が天空の動きを体感し、自らの存在を認識したであろう行為を追体験させることを意図している。これは、現代人が失いつつある、自然と一体となった感覚や、悠久の時間への意識を呼び覚まそうとする試みと言えるだろう。多くの現代アート施設が視覚的な刺激や知的な考察を促すのに対し、江之浦測候所は、光、風、海といった自然の要素を直接的に身体で感じさせることで、より根源的な問いを投げかけるのだ。
2017年の開館以来、江之浦測候所は国内外から多くの人々を惹きつけてきた。しかし、その見学は完全予約・入れ替え制であり、一度に入場できる人数は限られている。この方式は、来館者が喧騒から離れて、静かに作品と向き合い、自然の移ろいを体感するための配慮である。最寄りの根府川駅からは無料送迎バスも運行しているが、徒歩で40分以上かかる急勾配の道のりも、この場所が容易にはたどり着けない特別な空間であることを示唆している。
敷地内では、杉本博司が設立した農業法人「植物と人間」による柑橘類の栽培も行われ、ストーンエイジ・カフェも運営されている。これは、単なる芸術施設に留まらず、土地の恵みと共生する持続可能なあり方を模索する姿勢の表れとも言えるだろう。また、2020年には「竹林エリア」が拡張され、春日社や片浦稲荷大明神などが加わるなど、今もなお進化を続けている。
小田原市も、江之浦測候所の存在を文化振興の基盤と捉え、「小田原市文化によるまちづくり条例」を2020年に制定するなど、地域との連携を深めている。江之浦という、かつてはあまり知られていなかった土地に、世界中から人々が訪れるようになったことは、この測候所が持つ文化的引力の大きさを物語る。
小田原文化財団 江之浦測候所は、単に現代美術家の集大成としてだけでなく、人類が太古から持ち続けてきたであろう、自然への畏敬と、自らの存在を宇宙の中に位置づけようとする営みを再認識させる場所である。杉本博司が幼少期に見た小田原の水平線が、彼の「海景」シリーズの原点となり、さらにこの測候所へと結実した経緯は、個人の記憶が普遍的なテーマへと昇華されていく過程を示している。
冬至や夏至の光の軸線に沿って配置された建築群は、太陽の運行という最も根源的な自然現象を可視化する。これは、現代社会において忘れられがちな、人間と宇宙との関係性を問い直す装置と言えるだろう。訪れる者は、悠久の時を経て受け継がれてきた伝統的な建築技法や石材、そして移築された古建築に触れながら、現代のテクノロジーと古代の感性が交差する地点に立つことになる。
江之浦測候所が問いかけるのは、私たちがいかにして「意識」を持ち、いかにして「アート」を生み出してきたかという根源的な問いだ。そして、未来の遺跡として構想されたこの場所は、数千年後、そこに何が残り、人々が何を感じ取るのか、という想像力を刺激し続ける。それは、私たち自身の時間感覚を揺さぶり、日常の中に潜む普遍的な美と真理への眼差しを育む機会を与えてくれるだろう。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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