2026/5/30
磐田で海老芋が育つ理由:天竜川の恵みと人の手の技

磐田でも海老芋を栽培しているらしい。詳しく教えて欲しい。
キュリオす
京都発祥の海老芋が、なぜ静岡県磐田市で全国生産量の約8割を占める一大産地となったのか。天竜川の肥沃な砂壌土と、夏の炎天下で行われる「土寄せ」などの特殊な栽培技術が、その品質を支えている。
食卓に上がる海老芋の、その滑らかな舌触りと独特の風味は、冬の味覚の代名詞とも言える。多くの場合、京料理のイメージと結びつけられがちだが、静岡県磐田市が海老芋の一大産地であると聞けば、意外に感じる者もいるかもしれない。なぜ、古都の象徴とも言える高級食材が、遠州灘に面したこの地で全国の生産量の多くを占めるに至ったのか。その背景には、土地の条件と、そこに生きる人々の選択があった。
海老芋の歴史を遡れば、その起源は江戸時代中期、安永年間(1772〜1781年)の京都に辿り着く。青蓮院宮が長崎から持ち帰った「唐芋(とうのいも)」を、宮家に仕えた平野権太夫が栽培したのが始まりとされる。この京都での丹念な栽培が、後に海老のように湾曲した形と縞模様を持つ、独特の海老芋を生み出したのだ。
一方、磐田の地に海老芋がもたらされたのは、それから約150年後の昭和初期、1927年頃のことである。 当時、気子島村(現在の磐田市の一部)では養蚕業が低迷しており、地域の経済を立て直すための新たな換金作物が模索されていた。井通村(現在の豊田地区)の農協組合長であった熊谷市郎氏らが、将来の特産品となる作物を探す中で、京都の高級食材として知られていた海老芋に着目したという。 試しに栽培したところ、磐田の土壌が海老芋の生育に適していることが判明し、これが磐田における海老芋栽培の端緒となった。
磐田の地で海老芋栽培が成功した要因は複数ある。まず、天竜川がもたらす肥沃な土壌が挙げられる。天竜川の東岸に広がる磐田市の豊岡、豊田、竜洋地区は、水はけの良い砂地の土壌に恵まれている。 海老芋は多くの水分を必要とする一方で、水はけが悪いと根腐れを起こしやすいデリケートな作物であるため、この砂壌土の特性が栽培に適合したのだ。 また、この地域が全国有数の日照時間を誇ることも、海老芋の健全な生育を後押ししているだろう。
しかし、単に土壌が適しているだけでは、あの独特の形と食感は生まれない。海老芋の最大の特徴である湾曲した形状と表面の縞模様は、夏の暑い時期に何度も手作業で行われる「土寄せ(つちよせ)」という特殊な栽培技術によって作られる。 これは、親芋から生じる子芋の根元に土を盛ることで圧力を加え、エビのような形に肥大させる工程である。さらに、子芋の成長を促すために不要な芽や葉を取り除く「芽かき」「葉かき」といった作業も欠かせない。 これら一連の作業は真夏の炎天下で行われ、多大な労力を要する。 磐田産の海老芋がきめ細かく、煮崩れしにくい肉質を持つのは、こうした手間暇をかけた栽培技術の集積と、JA静岡経済連が主導して開発された海老芋専用肥料など、品質向上への継続的な取り組みの成果である。
海老芋は「京野菜」の一つとして知られ、京都では「京芋」とも呼ばれる伝統的な食材である。 京都の料亭では、棒鱈との煮物「芋棒」など、古くからその風味を活かした料理が供されてきた。 しかし、その発祥の地である京都府内では、市街化の進展に伴い海老芋畑が減少し、生産量は徐々に減少傾向にある。
対照的に、静岡県磐田市は現在、全国の海老芋生産量の約8割を占める一大産地として確立している。 京都以外では、大阪府富田林市でも海老芋が栽培されており、こちらも水はけの良い土壌と地域に継承された畝立て技術によって、独特の品質を保っている。
これらの産地を比較すると、海老芋栽培が特定の土壌条件と、そこに根付いた手間暇のかかる栽培技術に支えられている点は共通している。しかし、京都が伝統と消費の中心地として文化を育んできたのに対し、磐田は、経済的な困難を乗り越えるための作物として海老芋を導入し、地域全体で栽培技術の改良と規模拡大を進めてきた経緯が異なる。京都の生産量が減少する中で、磐田は土地の利を最大限に活かし、組織的な取り組みによって全国一の生産地へと変貌を遂げたのである。
現在、磐田市で収穫される海老芋の多くは、東京、大阪、京都といった大都市圏の高級料亭や和食店へ出荷されている。 特に、親から子、孫へと芋が連なる姿が子孫繁栄の象徴とされ、正月料理やお祝いの席で珍重される高級食材としての地位を確立している。 JA遠州中央が手掛ける「磐田産海老芋」は、その品質の高さからブランド価値を確立し、高値で取引される。 静岡県が認定する「しずおか食セレクション」においても「頂(いただき)」として選定されている点も、その品質が公的に認められている証左だろう。
しかし、この特殊な栽培方法が故に、現代的な課題も抱えている。手作業に頼る部分が多いため、一人の農家が耕作面積を大きく広げることは難しく、農家の高齢化と後継者不足は深刻な問題となっている。 磐田市とJA遠州中央は、この状況を打開するため、新たな担い手を育成する「担い手講習会」や、市民が海老芋栽培を体験できる「海老芋オーナー制度」などを実施している。 サラリーマンから転身し、海老芋栽培の研修を受ける若者も現れるなど、伝統野菜を守り、次世代へ繋ぐための試みが続けられている。 磐田市内の直売所では、一般の消費者も新鮮な海老芋を購入することができ、地域の食文化を支える存在であり続けている。
磐田の海老芋は、京都で生まれた伝統野菜が、遠く離れた土地の自然条件と、そこで生きる人々の知恵と努力によって、新たな生命を吹き込まれた好例である。天竜川が育む肥沃な土壌、そして独特の形状と食感を生み出すための、真夏の炎天下での丹念な手作業。これらが一体となり、今日の磐田の海老芋の品質を築き上げてきた。
かつては京都の宮廷文化の中で育まれた食材が、やがて経済の変遷の中で新たな産地を求め、遠州の地で最も盛んに栽培されるようになった。この経緯は、単なる農産物の生産地の移動ではない。それは、土地の条件を読み解き、手間を惜しまず、品質を高めようとする人々の営みが、いかにして一つの文化を継承し、発展させていくかを示すものだ。食卓に並ぶ海老芋の一皿は、遠州の風土と、そこに根ざした人々の歴史を静かに語りかけてくる。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。