2026年5月15日
ずんだ餅は伊達政宗考案?仙台銘菓の歴史と魅力
「ずんだ餅は伊達政宗が考案した」という説の真偽を探る。ずんだ餅の語源や、江戸時代末期から明治にかけての定着、そして現代における多様な発展を解説。仙台の豊かな餅文化と、地域に根ざした銘菓の数々を紹介する。
鮮やかな緑の誘いと、歴史の問い
仙台の街を歩くと、土産物店の軒先やカフェのメニューで、鮮やかな緑色の餅菓子が目を引く。それが「ずんだ餅」だ。茹でた枝豆をすり潰して作る独特の餡は、その見た目だけでなく、豊かな豆の風味と、わずかに残る粒々の食感が特徴である。口に運べば、もっちりとした餅と、どこか懐かしいような優しい甘みが広がる。この郷土菓子には、「伊達政宗が考案した」という逸話がしばしば添えられる。戦国の世を駆け抜けた独眼竜が、果たして甘い餅の考案者だったのか。その問いは、ずんだ餅の歴史と、仙台の食文化の奥深さを探る入口となるだろう。
戦陣の糧か、農民の知恵か
ずんだ餅と伊達政宗を結びつける伝説は、複数存在する。一つは、政宗が合戦の最中に陣太刀の柄で枝豆を潰し、餅に和えて食べたところ、その美味しさに感銘を受け「陣太餅(じんだもち)」と名付けたという説である。また、甚太(じんだ)という農夫が考案した枝豆餅を政宗に献上し、政宗がそれを気に入り「甚太餅」と名付けた、という話もある。これらの逸話は、政宗が食に関心が高かったという一般的な認識と結びつき、広く語り継がれてきた。
しかし、史料を紐解くと、ずんだ餅そのものの起源は戦国時代にまで遡るとされるものの、現在の甘いずんだ餡が定着したのは、砂糖が一般に流通するようになった江戸時代末期から明治時代にかけてだと考えられている。江戸時代の記録には、お盆にずんだ餅を食べたという農家の食事記録も残っているという。
「ずんだ」という名称の語源も諸説ある。最も有力とされるのは、茹でた枝豆をすり潰す際に「豆を打つ」という動作から、「豆打(ずだ)」が訛って「ずんだ」になったという説である。東北地方では豆を潰し打つことを「ずだ」と呼ぶ地域もあり、それが転訛した可能性は高い。また、地域によっては「づんだ」「じんだ」「じんだん」「ぬた」など様々な呼称があることからも、その土地に根ざした独自の発展を遂げてきたことが窺える。
伊達政宗が直接ずんだ餅を考案したという明確な証拠は見当たらないが、彼が食文化、特に兵糧や保存食に深い関心を持ち、仙台味噌の醸造所「御塩噌蔵」を設けるなど、食の発展に貢献したことは確かな事実である。政宗の食への探求心と、庶民の知恵が結びつき、「ずんだ餅」という郷土菓子に物語が付与されたと見るのが自然だろう。
枝豆と餅、そして夏の風物詩
ずんだ餅の根幹を成すのは、東北地方で古くから栽培されてきた枝豆(未成熟な大豆)である。枝豆は夏の収穫時期を迎える作物であり、かつては夏の季節料理として、お盆やお彼岸の供え物として作られてきた。その製法は、まず枝豆を塩茹でし、さやから出して薄皮を丁寧に剥くことから始まる。この薄皮を剥く作業は手間がかかるが、滑らかな口当たりと鮮やかな緑色を出すためには欠かせない。
次に、薄皮を剥いた枝豆をすり鉢やフードプロセッサーで潰し、砂糖と少量の塩を加えて餡を作る。この際、完全にペースト状にするのではなく、豆の粒感をわずかに残すことで、独特の食感が生まれる。砂糖の甘さと塩のわずかな塩味が、枝豆本来の風味を引き立てる役割を果たす。
合わせる餅は、つきたての柔らかいものが基本である。宮城県は米どころであり、餅文化が非常に豊かであるため、正月や婚礼、法事、農作業の節目など、人生の様々な節目で餅が食されてきた背景がある。ずんだ餅も、そうした「ハレの食」の一つとして、家庭で家族総出で作られ、栄養補給の役割も担っていたという。枝豆の旬が夏であることから、冷やして食べるのが一般的であり、夏の暑い時期でも消化しやすく、食欲が減退した時の栄養補給としても重宝された。
現代では、冷凍技術の発展や市販のずんだ餡の登場により、一年を通して手軽に楽しめるようになったが、本来は夏の訪れを告げる季節の味であった。家庭で作る際には、すり鉢で丁寧に潰すことで、枝豆の香りと食感を最大限に引き出すことができる。この手作業の過程そのものが、地域文化を体感する時間でもあったのだ。
餅文化が育んだ多様な餡
ずんだ餅が東北地方、特に宮城県の郷土料理として定着している背景には、日本の他の地域における餅文化との比較から見えてくる特徴がある。全国的に見れば、餅に甘い餡を絡める菓子は数多く存在する。例えば、きな粉餅やあんこ餅は各地で見られるが、これらは大豆を炒って粉にしたものや、小豆を煮詰めた餡を用いる。それに対し、ずんだ餅は未成熟な枝豆を茹でてすり潰すという、他の地域ではあまり見られない独特の製法が特徴である。
山形県や福島県の一部地域でも、ずんだに似た「じんだん餅」や「ぬた餅」と呼ばれる餅菓子が存在する。これは、東北地方全体に豆をすり潰して餅に絡める食文化が広範に存在していたことを示唆する。しかし、その中でも「ずんだ餅」という名称と、鮮やかな緑色、そして砂糖で甘みをつけた現在の形が、仙台を中心に特に普及したのは、地域の食文化と商業的な発展が重なった結果と言えるだろう。
また、特定の食材を地域の名物として確立する際に、歴史上の人物の逸話が付与される現象は、ずんだ餅に限らず日本各地で見られる。例えば、九州の「いきなり団子」や、西日本の「わらび餅」など、その土地の歴史や伝承と結びつけられた菓子は少なくない。これらの物語は、必ずしも厳密な史実に基づいているわけではないが、地域の人々の愛着や誇りを育み、その土地の食文化を外部に伝える上で重要な役割を担ってきた。ずんだ餅と伊達政宗の逸話も、同様の文脈で理解できる。
仙台の餅文化は、ずんだ餅以外にも多彩である。納豆餅、くるみ餅、ごま餅、えび餅、ふすべ餅、飴餅など、季節や行事に応じて様々な餅料理が食されてきた。これは、米どころとしての豊かさと、古くから餅を神聖な食べ物とし、また日々の糧として大切にしてきた歴史の表れである。ずんだ餅は、こうした多様な餅料理の中の一つとして、枝豆という夏の旬の素材を取り入れた、地域の知恵が詰まった一品として位置づけられる。
現代に息づく、緑の菓子
現代の仙台では、ずんだ餅は単なる郷土料理の枠を超え、観光客に人気の「仙台三大名物」の一つとして、牛タンや笹かまぼこと肩を並べる存在となっている。仙台駅構内や土産物店には、多くのずんだ餅専門店が軒を連ね、その場で出来立てを味わえる店も多い。
老舗の「村上屋餅店」や「エンドー餅店」は、伝統的な製法を守り、丁寧に作られたずんだ餅を提供している。特に村上屋餅店は、明治10年(1877年)創業の老舗で、「づんだ餅の発祥の店」とも言われている。そこでは、宮城県産のもち米や、枝豆の薄皮を一つ一つ手作業で取り除く昔ながらの製法が守られているという。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
出典
- 宮城県のずんだ餅の魅力とおすすめ店舗 - 石巻の海産物の通販サイト - 海産物いのうえ(有限会社井上商店)kaisou-tuhan.com
- 「ずんだ餅」 | 全国菓子工業組合連合会zenkaren.net
- 宮城土産の定番「ずんだ餅」と伊達政宗公の関係とは⁉ 名前の由来や歴史|特集|【公式】食材王国・宮城県の県産品サイト「宮城旬鮮探訪」shunsentanbou.pref.miyagi.jp
- 宮城の名産品・ずんだ餅 | 宮城県物産振興協会オンラインショップec.miyagibussan.or.jp
- ずんだ餅 宮城県 | うちの郷土料理:農林水産省maff.go.jp
- ずんだ餅を解説!歴史、作り方、有名店を紹介! - japaswee[ジャパスイ]japaswee.com
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