2026/5/28
間の宿西倉沢、アワビやサザエは名物だった?

間の宿西倉沢について知りたい。アワビやサザエが獲れるの?
キュリオす
東海道の難所・薩埵峠の間に位置した間の宿西倉沢。かつて旅人をもてなしたアワビやサザエは、駿河湾の豊かな恵みと街道の需要が結びついた名物だった。現代の漁業や食文化の変化と共に、その記憶は今も息づいている。
駿河湾に面した静岡市清水区由比地区、その一角に「間ノ宿西倉沢」という地名がある。東海道五十三次の由比宿と興津宿の間に位置し、旅人たちが難所として知られる薩埵峠を越える前後に一息入れた場所だ。この地を訪れると、当時の旅籠や茶店の面影を残す古い町並みが、時を超えて旅人を迎え入れているように感じられる。ここで立ち止まる旅人が、かつて何を求めたのか。その一つに、海の幸、特にアワビやサザエがあったと言われている。
西倉沢が「間の宿」として発展したのは、東海道屈指の難所であった薩埵峠の存在が大きい。江戸時代初期まで、この峠越えの道は波打ち際の断崖を通る危険な「下道」しかなく、旅人たちは波の合間を縫って足早に通り抜けなければならなかったという。明暦以降に尾根を通る道が整備されたものの、その急峻さは歌川広重の浮世絵「東海道五拾三次之内 由井 薩埵嶺」にも描かれるほどである。この難所を前に、あるいは越えた後に、旅人たちは休息と栄養を求めた。西倉沢は、由比宿と興津宿という正式な宿場の間にありながら、その地理的条件ゆえに、茶屋や旅籠が軒を連ねる賑やかな場所となったのだ。望嶽亭藤屋や、村の名主を務め大名も休憩に利用したという川島家(本陣とも呼ばれた)のような施設が、その役割を担っていた。
間の宿西倉沢でアワビやサザエが名物となった背景には、駿河湾の豊かな漁場が挙げられる。西倉沢は駿河湾に面しており、古くから豊富な海の幸に恵まれてきた。特に、岩礁地帯を好むアワビやサザエは、この地の沿岸部で獲れやすかったと考えられる。江戸時代の紀行文である「東海道中膝栗毛」にも、弥次さん喜多さんが西倉沢でアワビやサザエの壺焼きを名物として称賛する記述がある。当時の茶屋や料理店は、獲れたての新鮮な貝類を旅人に提供し、難儀な旅の疲れを癒すとともに、この地の名物として定着させていったのだろう。その味は、旅の記憶として人々に語り継がれ、西倉沢の代名詞となっていったのだ。
東海道の宿場町にはそれぞれ名物があり、旅人たちはそれを楽しみに道中を進んだ。例えば、由比宿では桜えびが名物として知られ、かつては「さとう餅」も有名だったという。しかし、間の宿西倉沢のように、宿場の役割と同時に特定の高級な海の幸が旅の目玉となる例は、必ずしも多くはない。一般的な宿場町では、その土地の農産物や加工品、あるいは比較的安価な魚介類が提供されることが多かっただろう。
西倉沢のケースは、薩埵峠という地理的難所が、特別な休息と「ご馳走」への需要を生み、それが近隣の豊かな漁場と結びついたことで、アワビやサザエという高価な貝類が名物として確立されたと見ることができる。これは、単に海が近いから魚介が豊富というだけでなく、街道の経済活動と地域の自然条件が密接に結びついた結果と言える。現在の西倉沢漁港は、第1種漁港として地元の漁業を主としているが、主な漁獲はアジなどの定置網漁であり、アワビやサザエを大規模に商業漁獲しているという情報は見られない。漁獲量の減少により、近年は「倉沢の鯵」としてブランド化を進める動きもあるようだ。これは、時代とともに漁業の形態や主要な産物が変化してきたことを示している。
現在の間ノ宿西倉沢を歩くと、江戸時代からの面影が随所に残されていることに気づく。格子造りの家屋や石垣、蔀戸(しとみど)など、当時の街道の雰囲気を伝える建造物が見られるのだ。薩埵峠からの眺望は今も変わらず、富士山と駿河湾の絶景が広がり、歌川広重の浮世絵の世界を彷彿とさせる。
アワビやサザエについては、かつて海岸沿いでアワビやサザエを提供していたという老舗料理店「くらさわや」が、現在もサザエの壺焼きなどの魚料理を提供し、伝統の味を守り続けている。これは、昔ながらの食文化が形を変えて現代に受け継がれている証左だろう。一方で、西倉沢漁港では、定置網漁が営まれているものの、2024年時点では立ち入り禁止になっている箇所もあるようだ。漁獲される魚種もアジやカサゴ、メバルなどが挙げられ、磯物であるアワビやサザエの商業的な漁獲が中心ではない。しかし、この地域全体で「しずまえ」ブランドとして水産物の振興が図られており、地域の人々が主体的に活動に取り組んでいる。
間ノ宿西倉沢におけるアワビやサザエは、単なる地元の産物という枠を超え、東海道という歴史的な道と、それを往来した人々の文化に深く根ざした存在だったと言える。難所を控えた旅の途上で提供される海の恵みは、疲労困憊した旅人にとって、ただの食事以上の意味を持っていたに違いない。それは、この土地の自然がもたらす豊かさと、それを受け入れ、もてなす人々の営みが交差する地点であった。
現代において、アワビやサザエの漁獲状況や流通経路は変化しているかもしれない。しかし、かつて「東海道中膝栗毛」に描かれたように、西倉沢が旅人の胃袋と心を満たす場所であったという記憶は、今もこの地の風景や、老舗の料理店の暖簾の向こうに息づいている。それは、訪れる者にとって、単なる歴史の断片ではなく、土地の恵みと人の営みが織りなす物語として、静かに語りかけ続けている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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