2026/5/29
日坂宿で旅人を癒した、わらび餅の歴史と秘密

掛川ではわらび餅も有名なのか?わらび餅ってそもそも何?蕨を粉にするの?なんで固まるの?
キュリオす
掛川の日坂宿で親しまれたわらび餅。その原料である蕨の根からデンプンを抽出する手間や、独特の食感が生まれる仕組み、そして現代に伝わるわらび餅の多様な姿を辿る。
東海道五十三次の宿場町として知られる掛川、特にその東に位置する日坂宿の名を耳にする時、多くの人は静かな山里の風景を思い浮かべるだろう。しかし、この地にはかつて、ある菓子の香りが漂っていたという。それが「わらび餅」だ。現代の掛川でわらび餅が突出して有名かと言えば、他の地域特産品に比べると目立つ存在ではないかもしれない。しかし、なぜこの日坂宿でわらび餅が多くの旅人に親しまれたのか。そしてそもそも、あの独特の食感を持つわらび餅とは何で、本当に「蕨」を粉にして作られているのだろうか。
わらび餅の歴史は古く、醍醐天皇の時代(9世紀末から10世紀初頭)にはすでに食されていたという記録がある。当時は天皇が病の際に献上されたとされるほど、貴重な滋養食であったようだ。それが庶民の間にも広まるのは、室町時代以降のことである。 そして江戸時代に入り、東海道が整備されると、わらび餅は旅人をもてなす茶屋の菓子として各地で供されるようになる。特に日坂宿は、東海道屈指の難所とされた「小夜の中山越え」を控えた宿場町であり、旅人たちはこの地で一息つき、次なる道程に備えた。日坂宿は、現在の掛川市日坂にあたる。 この難所の途上、あるいは越えた後に口にするわらび餅は、旅の疲れを癒す甘味として重宝されたのだ。多くの茶店が軒を連ね、それぞれの店でわらび餅が提供されていた記録も残っている。当時のわらび餅は、現在のような冷やして食べるデザートというよりも、もっと素朴で、腹持ちの良い菓子だったかもしれない。日坂宿のわらび餅は、その難所越えの物語と共に、旅人の記憶に刻まれていったのである。
「わらび餅」という名の通り、その主原料は山菜のワラビ(蕨)の根から採れるデンプンである。ワラビは春に芽吹く山菜として知られるが、その根には地中深くにデンプンが蓄えられているのだ。このデンプンを採取する工程は、想像以上に手間がかかる。まず、ワラビの根を掘り出し、きれいに洗って細かく砕く。次に、水にさらして揉み込み、デンプン質を水中に溶け出させる。このデンプンを多く含んだ水を何度も濾過し、上澄みを捨てて沈殿したデンプンを分離させる作業が繰り返される。 この精製されたデンプンが「本わらび粉」と呼ばれるもので、非常に希少価値が高い。なぜなら、ワラビの根から採れるデンプンはごく少量であり、およそ10キログラムのワラビの根から、わずか70グラム程度の本わらび粉しか得られないとされているからだ。 この本わらび粉に水を加えて加熱すると、デンプンが糊化する。デンプンの分子構造が熱と水によって変化し、網目状に結合することで、あの独特の透明感と弾力のあるプルプルとした食感が生まれるのだ。これがわらび餅が固まる仕組みである。しかし、現代において「本わらび粉」だけで作られるわらび餅はごく稀である。多くの場合、サツマイモデンプンやタピオカデンプン、加工デンプンなどが混ぜられているか、あるいは本わらび粉を一切使用せず、それらのデンプンのみで作られているのが実情だ。
わらび餅の製法や歴史をたどると、日本各地に存在する「餅」と名のつく菓子の多様性が浮き彫りになる。例えば、同じくデンプンを主原料とする菓子としては、葛の根から採れるデンプンを用いた「葛餅」がある。関東で一般的な葛餅は小麦粉デンプンを発酵させて作るのに対し、関西で多く見られる葛餅は本葛粉を用いる。 また、米を主原料とする一般的な餅が、その土地の米の品種や搗き方によって食感や風味が異なるように、デンプン質の菓子もまた、原料となる植物や精製方法、そして水によってその特性を大きく変える。わらび餅が日坂宿で隆盛を極めたのは、単に「甘いものが手に入った」というだけでなく、ワラビが自生する周辺の山々や、清らかな水が豊富にあったという地理的条件も背景にあったのだろう。 他の宿場町にも名物とされる菓子はあったが、日坂宿のわらび餅は、その難所越えという文脈と結びつくことで、単なる甘味以上の意味合いを持ったと言える。それは、旅の苦労を忘れさせる慰めであり、あるいは次の行程への活力を与える存在であったのだ。
現代の掛川、そして日坂宿を訪れると、かつて多くのわらび餅屋が軒を連ねた面影は薄い。日坂宿の面影を残す建物は点在するものの、かつての賑わいを知ることは難しい。しかし、いくつかの和菓子店では、今もわらび餅を提供している。それらの多くは、本わらび粉と他のデンプンをブレンドして作られており、手軽に楽しめる価格で販売されているのが一般的だ。 一方で、純粋な本わらび粉を用いたわらび餅は、その希少性と手間から高価な高級菓子として扱われる傾向にある。一部の専門店や料亭などで提供されるに留まり、日坂宿の茶屋で旅人が気軽に口にしたであろう素朴なそれとは、別の存在となっている。 かつて東海道の難所を越える旅人たちの胃袋を満たし、疲れを癒したわらび餅は、形を変えながらも、今も掛川の地で細々とその文化を継承していると言える。観光客向けの土産物として、あるいは地域の和菓子文化の一部として、その存在感を保っているのだ。
日坂宿のわらび餅から見えてくるのは、単なる菓子の話ではない。それは、土地が持つ自然の恵みと、それを加工する人々の知恵、そして街道を行き交う人々の生活が密接に結びついていた時代の記憶である。ワラビの根からデンプンを抽出し、菓子として供するという手間のかかる営みは、その土地の自然環境が豊かであったこと、そしてそれを支える技術があったことを示している。 現代において、多くのわらび餅が本わらび粉以外のデンプンで作られるようになったのは、効率化とコストの問題が大きい。しかし、その背景を知ることで、本物のわらび餅が持つ希少性や、かつて日坂宿で旅人たちが味わったであろう一服の甘味の重みを、改めて感じることができるだろう。それは、目に見える名物として派手さはなくとも、土地の歴史の奥底に静かに息づく文化の一端なのである。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。