2026/5/28
長良川と高原川の鮎、飛騨の山を挟むと香りはどう変わる?

長良川と高原川の鮎の違いは?高山を挟むとどう変わる??
キュリオす
岐阜県を流れる長良川と高原川の鮎は、同じ「鮎」でも育つ環境が異なるため、味や香りに違いがある。木曽川水系の長良川は石灰岩質の水質で「スイカのような香り」が特徴。神通川水系の高原川は軟水で低水温、清涼感のある香りが特徴。飛騨山脈が分ける地理的条件が、鮎の個性を育んでいる。
岐阜県の清流と聞けば、多くの人が長良川の鮎を思い浮かべるだろう。その鮎は「清流の女王」と称され、独特の香りと味わいで知られる。一方で、同じ岐阜県内、飛騨山脈を挟んだ反対側を流れる高原川にも鮎は棲息し、地元では珍重されている。この二つの川の鮎は、同じ「鮎」でありながら、その姿や性質、そしてそれを育む環境において、少なからぬ違いがある。高山という地理的障壁が、どのようにこの二つの異なる鮎の生態系を形作ってきたのか、その問いから旅を始めてみたい。
長良川と高原川は、同じ岐阜県内を流れるにもかかわらず、それぞれ異なる水系に属している。長良川は木曽川水系の一部であり、南へ流れ伊勢湾へと注ぐ。古くから京や江戸を結ぶ街道の要衝として、また水運の拠点として栄え、人々の生活と密接に関わってきた。長良川の鮎漁の歴史は古く、平安時代にはすでに朝廷への献上品とされていた記録も残る。特に、織田信長が鵜飼を保護し、徳川家康がその伝統を継承したことで、長良川の鵜飼と鮎は全国にその名を知られることになった。明治期には「皇室御料場」が設けられ、皇室への献上が現在まで続いていることからも、その歴史的価値の高さがうかがえる。
一方、高原川は神通川水系に属し、北へ流れて富山湾へと注ぐ。飛騨の山深い地域を源流とし、古くから鉱山開発が盛んだった地域と結びついてきた。長良川のような華やかな歴史こそ持たないものの、高原川の鮎もまた、この地の住民にとって重要な食料であり、文化の一部であった。漁の形態は、友釣りが主流で、長良川の鵜飼とは異なる形で地域に根ざしてきたのである。飛騨山脈という峻険な山々が、両水系の分水嶺となり、それぞれの川とそこに生きる鮎の歴史を、異なる道筋で育んできたと言えるだろう。
長良川と高原川の鮎の具体的な違いは、両河川の物理的・化学的特性に起因するところが大きい。鮎の味や香りは、その主食である川底の石に付着する珪藻(けいそう)類、いわゆる「垢(あか)」の質によって大きく左右される。
長良川は、源流を奥美濃の山々に持ち、比較的緩やかな流れと広い川幅を持つ区間が多い。上流域には石灰岩質の地層もあり、水質は中硬水から軟水に近い傾向がある。この水質が育む珪藻類は、独特の甘く、やや青みがかった香りを鮎に与えると言われている。特に、長良川中流域に見られる緑色の珪藻は、鮎の「スイカのような香り」と評される独特の風味の源とされてきた。また、適度な水温と、広い河川敷を持つことで、鮎が産卵・遡上しやすい環境が保たれてきたのだ。
対する高原川は、飛騨山脈の急峻な谷間を流れるため、流れが速く、川底は岩盤や玉石が多い。源流部は花崗岩質の地層が多く、水質は長良川よりも軟水傾向が強い。また、標高が高いため、水温は長良川より低めに推移する。この環境下で育つ珪藻類は、長良川のものとは異なる種類や組成を持つことが多く、高原川の鮎には、より野性的で、清涼感のある香りが特徴とされる。水温の低さは鮎の成長を緩やかにし、身が引き締まった、締まりのある肉質に繋がるとも言われる。同じ鮎でありながら、高山を挟んだわずかな距離で、水系と地質、標高が異なることで、これほどまでに鮎の個性も分かれるのだ。
長良川と高原川の鮎の違いを考える上で、他の地域の鮎と比較することで、その独自性がより明確になる。例えば、瀬戸内海に注ぐ河川で見られる「落ち鮎」の文化は、長良川の鮎とは異なる側面を持つ。瀬戸内海の河川では、産卵のために海へ下る大型の落ち鮎を捕獲し、塩焼きや甘露煮として食す文化が根強い。これらの鮎は、産卵期を迎え、脂が乗っている一方で、身はやや水っぽくなる傾向がある。長良川の鮎が、主に盛期の「若鮎」の香りを尊ぶのに対し、落ち鮎は成熟した身の旨味を重視する点で対照的だ。
また、琵琶湖に棲息する「コアユ」は、遡上せずに湖内で一生を過ごす陸封型であり、その生態自体が大きく異なる。コアユは体長10センチメートルほどの小型で、佃煮や天ぷらとして食されることが多い。河川を遡上する一般的な鮎が、縄張りを作り、石の藻を食べることで成長するのに対し、コアユはプランクトンを主食とし、群れで生活する。この食性の違いが、身の質や味に明確な差を生む。長良川や高原川の鮎が、それぞれに異なる河川環境が育む藻類を食し、その香りを身に纏う「香魚」としての特徴を強く持つ一方で、コアユは湖という閉鎖的な環境に適応した、別の「鮎」の姿を示していると言えるだろう。それぞれの地域が持つ水環境と、それに対応した鮎の生態、そして人々の食文化の多様性が、鮎という魚の奥深さを示している。
現代においても、長良川と高原川の鮎は、それぞれの地域で重要な存在であり続けている。長良川では、伝統的な鵜飼漁が観光資源として確立されており、毎年多くの観光客がその光景を目にする。鵜飼で獲れる鮎は、その希少性から高値で取引され、地域の経済を支える一助となっている。一方で、友釣りや網漁といった一般の漁も盛んであり、多くの釣り人が清流での釣りを求めて訪れる。しかし、河川環境の変化や釣り人の減少、漁業者の高齢化といった課題も抱えている。長良川漁業協同組合などは、稚鮎の放流や河川清掃活動を通じて、鮎資源の保護と持続可能な漁業の維持に努めているのだ。
高原川では、長良川のような大規模な観光資源化はされていないものの、地元住民にとっては夏の味覚として親しまれている。特に、高原川漁業協同組合が管理する釣り場では、友釣りや毛鉤釣りを楽しむ釣り人が多く、地域経済に貢献している。高原川の鮎は、その清冽な水質と相まって、一部の鮎愛好家の間では「幻の鮎」として珍重されることもある。しかし、こちらも過疎化や高齢化の波は避けられず、漁業の担い手不足は深刻な問題となっている。それでも、両河川ともに、鮎を育む清流を守るための努力は続けられており、地元の人々の生活と鮎との結びつきは、現代においても強いものがある。
長良川と高原川の鮎を比較することで、改めて浮き彫りになるのは、河川の物理的な隔たりが、いかに鮎の生態と、それを享受する文化に多様性をもたらすかという点だろう。飛騨山脈という巨大な分水嶺は、単に水の流れを分けるだけでなく、水質、水温、川底の地質、そしてそれらが育む藻類の種類といった、鮎の味と香りを決定づける微細な環境要素をも隔ててきた。
長良川の鮎が持つ「スイカの香り」と評される芳醇さは、その比較的穏やかな流れと、石灰岩質が混じる水質が育む藻類に由来する。対して高原川の鮎の持つ、より清涼で野性的な香りは、急峻な谷と軟水傾向の強い水質、そして低い水温がもたらすものだ。同じ「鮎」という種でありながら、高山を挟んだ地理的条件のわずかな違いが、これほどまでに明確な「香りの個性」を生み出している。この事実は、私たちが当たり前のように享受している自然の恵みが、いかに繊細なバランスの上に成り立っているかを静かに示している。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。