2026/5/20
東広島の酒はなぜ特別?軟水から吟醸酒を生み出した秘密

東広島は酒どころだと聞く。なぜ特別なのか?水がいいのか?
キュリオす
東広島の酒造りは、軟水という課題から始まった。三浦仙三郎が軟水醸造法を確立し、龍王山の伏流水と盆地の気候、精米技術が融合。灘・伏見とは異なる中硬水で、まろやかさと旨味を両立させた酒を生み出してきた。
東広島の酒造りの歴史は、江戸時代初期にまで遡るとされている。当初、現在の東広島市安芸津町三津のような沿岸部で酒造りが盛んに行われていたが、明治時代に入り「酒株の廃止」によって酒造業への参入が自由になると、多くの新規参入者が現れた。しかし、当時の広島の水の多くはミネラル分が少ない「軟水」であり、酵母の発酵力が弱く「腐造」に悩まされる酒造家が多かった。
この軟水の課題に挑んだのが、安芸津町三津出身の醸造家、三浦仙三郎(1847-1908)である。彼は1876年に酒造業を始めたものの、腐造を繰り返し、その原因が水質にあると見抜いた。仙三郎は、水質の違いによって酒の味が異なることを知り、軟水に適した醸造方法を研究し始める。20年以上の歳月を費やし、試行錯誤を重ねた結果、明治31年(1898年)に「軟水醸造法」を確立した。これは、麹を米の内部までしっかり行き渡らせ、醪(もろみ)を低温でゆっくりと発酵させるというもので、それまでの経験や勘に頼る酒造りから、寒暖計を用いた温度管理や麹室の換気といった科学的な手法を取り入れた画期的なものだった。
仙三郎の軟水醸造法は、口当たりが柔らかく芳醇で、旨味に富んだ広島酒独特のまろやかな酒質を生み出すことに成功した。彼はこの技術を独占せず、『改醸法実践録』として公開し、自らの蔵の杜氏を他の蔵に教えに行かせるなど、地域の酒造技術の発展に尽力した。
明治40年(1907年)に開催された第一回全国清酒品評会では、仙三郎の軟水醸造法を用いた広島の酒が優等1位、2位を独占し、全国の酒造関係者を驚かせた。これを機に「軟水でも良酒は造れる」という認識が広まり、広島は一躍、全国に名を馳せる酒どころとなったのである。
東広島が酒どころとして発展した背景には、自然条件と、それを最大限に活かす技術の集積がある。まず、水質についてだが、東広島市西条地区の仕込み水は、北にそびえる龍王山に降った雨や雪が、15年以上の歳月をかけて地下を流れ、ミネラル分を含んだ「中硬水」として湧き出る伏流水である。
この龍王山の伏流水は、一般的に軟水が多いとされる広島県内の水の中でも、酒造りに適したミネラルバランスを持つ中硬水であることが特徴だ。酵母の発酵を穏やかに促し、きれいで腐りにくいという性質を持つ。
次に気候風土も重要な要素である。西条は標高400〜700メートルの山々に囲まれた盆地に位置し、寒暖差が大きい。この気候は酒米の栽培に適しているだけでなく、酒を仕込む冬の平均気温が4〜5℃と、日本酒造りに理想的な低温環境を提供する。
さらに、明治時代に入り、現在の株式会社サタケ創業者である佐竹利市が動力精米機を開発したことも大きい。特に明治41年(1908年)に完成した「竪型金剛砂精米機」は、当時としては驚異的な精米歩合60%を実現し、吟醸酒造りの基礎を築いた。 精米技術の向上は、軟水醸造法と相まって、より香り高く繊細な酒を生み出すことを可能にしたのだ。
これらの自然条件と技術革新が西条に集積された結果、大正時代には「酒都西条」と呼ばれるようになり、灘、伏見と並ぶ日本三大酒どころとしての地位を確立していった。
日本三大酒どころとして知られる「灘」「伏見」「西条」は、それぞれが独自の自然条件と醸造技術によって発展してきた。特に水質は、各地域の酒の個性を決定づける重要な要素である。
兵庫県の灘は、六甲山系を源とする「宮水」という硬水に恵まれている。宮水はカリウムやリン、マグネシウムといったミネラル分が豊富で、酵母の発酵を力強く促進する。この「強い水」で仕込まれる灘の酒は、発酵が旺盛に進むため、一般的に「男酒」と呼ばれる、力強くキレのある辛口の酒質が特徴である。
一方、京都府の伏見は、京都盆地の地下水である「伏水(ふしみず)」という軟水を使用する。伏水はミネラル分が少なく、口当たりがまろやかで上品な酒を生み出す。発酵が穏やかに進むため、きめ細かく、ふくよかな「女酒」と称される酒質が特徴だ。
東広島の西条の水は、龍王山の伏流水を源とする「中硬水」である。これは、灘の硬水と伏見の軟水の中間に位置すると言える。 しかし、単に硬度の数値だけで語ることはできない。西条の醸造家たちは、三浦仙三郎が確立した「軟水醸造法」を応用し、この中硬水を低温で長期発酵させる「中硬水醸造法」を完成させた。 この手法により、西条の酒は、軟水から生まれるまろやかさに加え、中硬水が持つミネラル分がもたらす奥行きのある旨味を併せ持つ、独特の「おんな酒」としての個性を確立したのである。
このように、三大酒どころはそれぞれ異なる水質を持ちながらも、その土地の水に適した醸造法を確立し、独自の酒質を追求してきた点で共通している。西条の特異性は、軟水という「不利」な条件から出発し、それを克服するどころか、新しい醸造法を開発することで、それまでになかった「吟醸酒」という酒質の可能性を切り開いた点にある。
東広島市西条の酒蔵通りには、現在も賀茂鶴酒造、福美人酒造、白牡丹酒造、西條鶴醸造、亀齢酒造、賀茂泉酒造、山陽鶴酒造の七つの酒蔵が軒を連ねている。これらの蔵元は、それぞれが独自の歴史と銘柄を持ちながら、地域全体で「酒都」の文化を支えている。
観光客は、白壁の蔵や赤煉瓦の煙突が並ぶ町並みを散策し、酒蔵直売所で試飲を楽しんだり、限定酒や酒蔵ならではのグッズを購入したりすることができる。 また、昔の蔵人のまかない料理がルーツとされる「美酒鍋」は、西条を代表するご当地グルメとして親しまれている。
さらに、東広島市には、日本で唯一の酒類に関する研究機関である独立行政法人酒類総合研究所が立地している。 この研究所は、酒類醸造に関する科学的研究と技術者養成を担い、今日の吟醸酒や純米酒の品質向上に大きく貢献してきた。 酒造りの最先端技術が今もこの地に集積していることは、「酒都」としての西条の強みと言えるだろう。
近年では、東広島の蔵元も海外市場に積極的に目を向けている。賀茂鶴酒造は明治時代からハワイへの輸出記録があり、現在は25カ国に輸出している。賀茂泉酒造や今田酒造本店なども、欧米やアジアを中心に海外展開を進めている。 国内の日本酒消費量が減少傾向にある中、海外での日本食ブームや日本酒人気の高まりを背景に、東広島の酒は「SAKE」として世界で愛される存在を目指しているのだ。
東広島が「酒どころ」として特別なのは、単に良い水があるから、あるいは良い気候条件に恵まれているから、という単純な話ではない。確かに龍王山の中硬水や盆地の寒暖差は、酒造りに適した自然条件である。しかし、それだけでは腐造に悩まされた軟水の歴史を乗り越えることはできなかったはずだ。
この地が銘醸地となったのは、三浦仙三郎という一人の醸造家が、当時の「軟水では良い酒が造れない」という定説を覆し、科学的なアプローチで軟水醸造法を確立したことに始まる。彼の「百試千改」の精神と、その技術を惜しみなく地域に広めた利他の精神が、広島の酒造りの基礎を築いた。 加えて、精米機の開発に尽力した佐竹利市や、醸造技術の指導に貢献した橋爪陽といった先人たちの存在も、酒都西条の発展には不可欠であった。
東広島の酒造りの物語は、土地の持つ自然条件を人がいかに解釈し、そこにどのような意志と技術を注ぎ込むかによって、その土地の可能性が大きく開花することを示す事例だ。水質という「制約」を「個性」へと転換させた、先人たちの知恵と情熱が、白壁の酒蔵が並ぶ西条の町並みに、今も静かに息づいている。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。
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