2026/5/23
瀬戸内海で「雑魚」が高級魚に?ベラの特別な価値を探る

瀬戸内海で獲れる「ベラ」ってなに?他の地域にはいないのか?
キュリオす
瀬戸内海で「ベラ」と呼ばれるキュウセンが、なぜ他の地域と異なり高級魚として扱われるのか。豊かな自然環境、歴史的な漁業、そして地域に根付いた食文化が、この魚の価値を形作っている。
瀬戸内海の漁港に立つと、水揚げされたばかりの魚が並ぶ市場の活気が目に飛び込んでくる。その中で、ひときわ鮮やかな色彩を放つ魚がいる。赤や青、緑がかった体色の「ベラ」だ。他の地域では「外道」や「雑魚」として扱われがちなこの魚が、瀬戸内では夏の食卓を彩る「高級魚」として珍重されているという。この地域でなぜベラが特別な存在になったのか。その疑問は、穏やかな内海の歴史と、そこに暮らす人々の食文化の深さを探る旅へと誘うものだ。
「ベラ」とはスズキ目ベラ科に属する魚の総称であり、世界中に600種以上、日本近海だけでも約130種が生息している。しかし、瀬戸内海で「ベラ」と呼ぶ場合、その多くは標準和名「キュウセン」を指す。キュウセンは、メスが赤っぽい体色(赤ベラ)で、オスが青や緑がかった体色(青ベラ)をしており、成長に伴いメスからオスへ性転換する特徴を持つ魚だ。瀬戸内海沿岸では「ギザミ」「ギサミ」といった地方名でも親しまれてきた。
キュウセンが瀬戸内海の食文化に深く根付いた背景には、この海域の自然条件と漁業の歴史が関係している。瀬戸内海は温暖で雨量が少なく、内湾性に富んだ浅瀬が多い。 また、潮の干満差が大きく潮流が強い一方で、多くの河川が流入することで山の栄養分が運ばれ、豊かな生態系が育まれてきた。 キュウセンは岩礁と砂地が点在する浅い海域を好み、ゴカイ類や小型甲殻類を捕食する。 瀬戸内海のこうした環境は、キュウセンが豊富に生息し、大きく成長するのに適していたと考えられる。
歴史的に見れば、瀬戸内海では古くから小規模な沿岸漁業が盛んだった。キュウセンは比較的水深の浅い場所でも釣れるため、手軽な漁獲対象として親しまれてきたのだろう。 特に夏が旬とされ、この時期に獲れる大型の青ベラは、その美味しさから「高級魚」として高値で取引されてきた歴史がある。 専門にベラを狙う「延縄(はえなわ)」や「刺し網」といった漁業、あるいは遊漁船による釣りも行われてきたほどだ。 地域によっては、祭りや正月の際に保存食として加工されたベラを使った寿司が作られるなど、日常だけでなく特別な食文化の中にもその存在はあった。
瀬戸内海でベラ、特にキュウセンが美味と評価されるのには、いくつかの理由がある。まず、瀬戸内海の環境がキュウセンの身質に良い影響を与えている点が挙げられる。穏やかな内海でありながら、潮の流れが速い場所も点在し、豊富な餌に恵まれることで、キュウセンは身が締まり、適度な脂を蓄える。 関東など外洋で獲れるものと比較して、瀬戸内海産のキュウセンは「身がしまって美味しい」と評されることが多い。
次に、キュウセンの生態的特徴も美味しさに繋がっている。キュウセンは昼行性で、夜間や冬期には砂に潜って休眠する習性がある。 特に冬眠に備えて餌を活発に食べる秋には、身に脂が乗るとも言われている。 また、旬である夏季には脂が乗り、独特の甘みを持つとされる。
調理法も、その美味しさを引き出す上で重要だ。ベラは白身で水分量が多く、加熱しても身が硬くなりにくい特徴がある。 瀬戸内海では、大型の青ベラは刺身や塩焼きでその上品な味わいを堪能できる。 特に鮮度の良いキュウセンの刺身は、脂が乗って甘みがあり、もちもちとした食感が評価されている。 小さなものは、素焼きにしてから煮付けにしたり、南蛮漬けにしたりと、骨まで丸ごと食べられる調理法も親しまれている。 独特のぬめりがあるため、下処理でしっかりと洗い流すことが美味しく食べるための大切な工程である。
ベラ科の魚は世界中の暖かい海に広く分布し、日本全国の沿岸部でも多様な種類が確認できる。 例えば、キュウセンは北海道南部から九州にかけて広く生息している。 ホシササノハベラやアカササノハベラなども、日本の太平洋側や日本海側、そして瀬戸内海に分布する。 しかし、これらのベラが各地でどのように認識され、食されてきたかには大きな違いがある。
関東地方では、ベラはしばしば釣りの「外道」として扱われ、狙って釣られることや食用として流通することは稀だ。 釣り人からはエサ取りが上手な「厄介者」と見なされ、釣れてもリリースされることが多い。 その派手な体色や、ヌメリの多さ、小骨が多いことなどが、食用としての評価を低くしている要因として挙げられるだろう。
一方で、瀬戸内海や関西地方では、キュウセンは「高級魚」として扱われ、鮮魚店にも並ぶ一般的な食用魚である。 同じ種でありながら、これほど評価が分かれるのは、単に魚の絶対的な数が異なるというだけではない。瀬戸内海のキュウセンは、内海の豊かな環境で育つことで身質が向上するとされ、特に大型のオスである「青ベラ」は珍重される。 また、瀬戸内海では古くからベラを美味しく食べるための調理法が確立されており、南蛮漬けや煮付け、そして新鮮なものは刺身としても楽しまれてきた。 このように、特定の魚種に対する地域の食文化や価値観が、その魚の「美味さ」を決定づける大きな要素となっていることがわかる。
現代においても、瀬戸内海ではベラ、特にキュウセンは夏の味覚として親しまれ続けている。地元のスーパーマーケットや魚市場では、旬の時期になると鮮やかな色彩のベラが並び、多くの家庭で食卓に上る。 観光客向けの飲食店でも、瀬戸内海の郷土料理としてベラの塩焼きや南蛮漬けが提供されることもあり、地域の食文化を体験する上で欠かせない存在となっている。
漁業の現場では、延縄や刺し網といった伝統的な漁法でキュウセンが漁獲されている。 釣り上げたベラを生かしたまま出荷することで、高値で取引されるケースもあるという。 また、ベラを専門に狙う遊漁船も存在し、釣り人にとっても魅力的なターゲットであり続けている。
しかし、他の魚種と同様に、環境の変化や漁獲量の変動といった課題も抱えている。瀬戸内海では過去に海水温の上昇が報告されており、これに伴い暖海性魚類の増加や、かつて多く生息していた魚介類の減少が指摘されることもある。 ベラの資源管理や持続可能な漁業の推進は、今後も瀬戸内海の豊かな食文化を守っていく上で重要な課題となるだろう。
瀬戸内海における「ベラ」の存在は、単なる魚種のひとつに留まらない。それは、一見すると「雑魚」と見なされがちな魚が、特定の地域において「高級魚」として扱われるに至る、食文化の奥深さを示している。ベラ科の魚自体は日本全国に生息する普遍的な存在だが、瀬戸内海のキュウセンが持つ特別な価値は、その地域の豊かな自然環境と、長年にわたって培われてきた人々の暮らし、そして魚を見極め、美味しく食す知恵が重なり合って生まれたものだ。
この魚が教えてくれるのは、食材の価値が絶対的なものではなく、土地の風土と文化によって形作られるということだろう。瀬戸内海の穏やかな海と、そこで育まれた食の歴史が、彩り豊かなベラに独自の輝きを与えているのである。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。