2026/5/23
今治の焼豚玉子飯、まかないから生まれたソウルフードの秘密

今治で焼豚玉子飯という食べ物を食べた。ポピュラーなのか?
キュリオす
今治で親しまれる焼豚玉子飯は、半世紀前のまかない飯が起源。中華料理店の厨房から生まれたこの丼は、簡潔な構成と提供の速さで地元の人々に愛され、今や全国区の人気となった。その普及の道のりと、今治の気質との繋がりを探る。
今治の街角で焼豚玉子飯と向き合ったとき、その素朴な見た目に反して、一口ごとに押し寄せる満足感に驚いた。ご飯の上に薄切りにされた焼豚、その上に半熟の目玉焼きが二つ、そして甘辛いタレがたっぷりと。構成要素はこれだけである。過剰な装飾もなければ、複雑な調理工程を経た様子もない。しかし、この簡潔な丼が、なぜこれほどまでに今治の人々に深く根ざし、ついには全国にその名を知られるようになったのか。その問いは、今治という土地の気質と、食を巡る小さな歴史の積み重ねの中に答えがあるように思える。
今治焼豚玉子飯の起源は、今から半世紀ほど前、市内にあった「五番閣」という中華料理店に遡る。当時は、厨房で働く料理人たちが忙しい仕事の合間に手早く栄養を摂取するため、ご飯に焼豚の切れ端と煮汁をかけ、目玉焼きを添えて食べていたという。これが、いわゆる「まかない飯」である。簡単に作れてボリュームがあり、それでいて美味しく、疲れた体に活力を与えるこの一皿は、従業員たちの間で好評を博した。
その後、「五番閣」は惜しまれつつ閉店したが、そこで修行を積んだ料理人たちがその味を受け継ぎ、独立して店を開いた。中でも、「白楽天」の創業者である関政嗣氏が、このまかない飯をさらに改良し、1970年(昭和45年)頃に「やきぶた玉子めし(叉焼蛋飯)」として正式なメニューに加えたのが、現在の焼豚玉子飯の始まりだとされている。 「白楽天」が高校の近くに位置していたこともあり、育ち盛りの男子高校生たちの間で瞬く間に人気を集めた。彼らの口コミによって、焼豚玉子飯は徐々に今治市民の間に浸透し、やがてこの地の「ソウルフード」と呼ばれる存在へと成長していったのだ。
焼豚玉子飯の魅力は、その簡潔な構成要素が織りなす絶妙なバランスにある。ご飯、焼豚、半熟の目玉焼き二つ、そして甘辛いタレ。これらが一体となることで生まれる風味は、一度味わえば忘れがたいものだ。特に重要なのは、焼豚を煮込んだ際にできる「煮汁」をベースにした特製のタレである。このタレがご飯と焼豚、そして半熟の黄身と絡み合うことで、濃厚でありながらも飽きさせない味わいを生み出す。
また、この料理のもう一つの特徴は、提供されるまでの「速さ」にある。今治の人々は「イラチ(気が短い)」と自称する気質があると言われ、料理が早く出てくることを重視する傾向がある。 焼豚玉子飯は、どんぶりにご飯を盛り、スライスした焼豚と目玉焼きを乗せ、タレをかけるだけで完成するため、数十秒という短時間で提供できる。 「旨い、安い、ボリュームがある」という大衆食の基本に加え、「早く提供できる」という要素が、この丼が今治で広く受け入れられ、定着した大きな理由の一つだろう。各店舗は、焼豚の厚みや部位、卵の焼き加減、そしてタレの甘辛さのバランスにそれぞれ工夫を凝らし、独自の味を提供している。
焼豚玉子飯のように、シンプルな具材を組み合わせた「B級グルメ」や「ご当地丼」は日本各地に存在する。例えば、鳥取の「ホルモン焼きそば」や岡山の「デミカツ丼」といった地域固有の食文化も、その土地の食材や歴史、そして人々の嗜好が複雑に絡み合って生まれたものだ。しかし、焼豚玉子飯が持つ特徴は、その「まかない飯」としての起源が明確である点、そしてその後の普及が特定の店舗から始まったという経緯が比較的はっきりしている点にある。
多くのご当地グルメが、長い歴史の中で自然発生的に生まれ、発祥が曖昧になりがちなのに対し、焼豚玉子飯は「五番閣」という一つの場所と、そこから独立した料理人たちの手によって具体的に広まっていった物語を持つ。また、その普及が「男子高校生」という特定の層から始まったという点も興味深い。 他の多くの地域では、漁師飯や農作業の合間の食事など、一次産業に根ざしたものが発展することも多いが、今治焼豚玉子飯は、中華料理店の厨房という都市的な環境で生まれ、大衆食堂のメニューとして市民生活に浸透していった。この背景は、今治が造船業やタオル産業で栄えた都市であり、働く人々が手早く食事を済ませる必要があったという、その土地の経済的・社会的な条件と無関係ではないだろう。
現在、今治市内には約60店舗もの飲食店が焼豚玉子飯を提供しており、それぞれの店が独自のこだわりを持ってこの丼を供している。 「白楽天」や「重松飯店」といった発祥に近いとされる店舗は、今も行列が絶えない人気店として知られ、地元客だけでなく、全国から訪れる観光客も多い。
この地域の食文化を支える「今治焼豚玉子飯世界普及委員会」は、2006年(平成18年)に発足し、この料理を「今治」を広報するまちおこし団体として活動している。 彼らの尽力もあり、2011年(平成23年)には「近畿・中国・四国B-1グランプリin姫路」でブロンズグランプリ(3位)を獲得。 翌2012年(平成24年)には「近畿・中国・四国B-1グランプリin鳥取」でゴールドグランプリ(優勝)に輝き、 全国的な知名度を確立した。近年では、大手コンビニエンスストアや外食チェーンでも期間限定で販売されるなど、今治の枠を越えてその味が広がりを見せている。 家庭向けの専用タレも複数社から販売されており、自宅で手軽に今治の味を再現することも可能だ。
今治の街で焼豚玉子飯がこれほどまでにポピュラーになったのは、単に美味しいからというだけでは説明しきれない。それは、かつて多忙な厨房で生まれたまかない飯が、特定の料理人たちの手によってメニュー化され、地元の若者たちに支持され、そして地域を挙げてのプロモーション活動によって全国に知られるに至った、一連の動きの帰結である。
この丼は、今治という都市が持つ「速さ」と「効率性」を求める気質、そして「旨いものを手軽に食べたい」という人々の素朴な欲求が、形になったものだと言えるだろう。豪華さや複雑さはないが、確かな満足感と、食べるたびにどこか懐かしさを覚える味わいは、今治の人々の日常に深く溶け込んでいる。焼豚玉子飯は、そのシンプルな姿の奥に、今治という港町の活気と、そこに生きる人々の食に対する実直な姿勢を映し出しているのだ。

ゆーたなかお
キュリオす開発者。ひとり編集長。
旅と食が好き。どこにでもいます。